「METALLICA の音は間違いだ」——リック・ルービンが SLAYER に教えた『Reign in Blood』制作の真実

Reign in Blood 制作 ── 「METALLICA の音は間違いだ」——リック・ルービンが SLAYER に教えた『Reign in Blood』制作の真実 裏方列伝
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1986年1月、ロサンゼルスのヒット・シティ・ウエスト・スタジオ。スレイヤー(SLAYER)の4人を前に、リック・ルービン(Rick Rubin)はメタリカ(Metallica)のレコードを再生機にかけ、低い声で言った。「これが間違いの見本だ」。スラッシュメタルが「速さ・重さ」を疑わなかった年に、ヒップホップ畑から来たプロデューサーは『Reign in Blood』制作の現場で、その常識を引き算で覆しにかかった。

『Reign in Blood』の音は引き算で作られている。ルービンはギターと声からリバーブを切り、ドラムをミックスの前へ押し出し、走るリズムが鼓動として聴こえる位置まで素材を引いた。1986年10月7日にゲフィン経由で世に出た28分58秒・10曲は、その引き算の到達点であり、エクストリーム・メタル全体の基準音になった。

「メタリカの音は間違いだ」とルービンが言った理由

SLAYERのドラマー、デイヴ・ロンバード(Dave Lombardo)が連れてきた当時のルービンは、エルエル・クール・ジェイ(LL Cool J)やラン・ディーエムシー(Run-D.M.C.)を世に出したばかりのヒップホップ専門のプロデューサーで、ヘヴィメタルの仕事はゼロに近かった。最初に彼がエンジニアのアンディ・ウォレス(Andy Wallace)に聴かせたのは、メタリカ当時のレコードだった。「速い音楽なのに、音が長く尾を引いている。ベースの塊にギターが沈んで、ひとつひとつの打音が独立して聴こえない。あれは脈じゃなく、にじみだ」——ルービンの説明はその一点に尽きていた。速いものを速く聴かせるためには、長い残響を切らなければならない。彼はそう確信していた。

これは奇妙な人選から出てきた答えでもあった。メタル現場のクリシェを知らない男だったから、彼はメタル界が当然視している「壮大に響かせるためのリバーブ」を疑える位置にいた。借りる引き出しが無い者の耳が、業界の標準装備を「にじみ」と聞き分けた。

「足す」のではなく「引く」——リバーブを切るという決断

1986年のメタル制作では、ギターと声に深いリバーブをかけ、奥行きと壮大さを音像に乗せるのが当然だった。ステージのスケールをアルバムに移植する、いわば標準仕様である。ルービンはこれをまるごと外している。ギターの残響ゼロヴォーカルの残響ゼロ。各音は鳴った瞬間に止まり、次の音と重ならなくなる。

Reign in Blood 制作——薄暗いスタジオに据えられたミキシング・コンソール
Photo by Marc Fanelli-Isla on Unsplash

結果として何が鳴っているか。トム・アラヤ(Tom Araya)の絶叫はステージで歌うものではなく、耳元で叫ぶ位置にいる。ジェフ・ハネマン(Jeff Hanneman)ケリー・キング(Kerry King)のリフは、独立した打音が連射として届く。ドラムは通常のメタル制作より高い位置にミックスされ、ロンバードの足が床を蹴る速度がそのまま顔に当たる音圧として鳴る。ルービン本人は後年「足したのでなく引いた。プロらしい仕事をしなかった」と振り返っている。引いた結果として現れた輪郭が、その後40年エクストリーム・メタル全体が追いかけ続ける基準音になった。

レコーディングは1986年1月から3月、ヒット・シティ・ウエストでの作業だった。ウォレスにとっても初の本格的なメタル仕事だったが、ルービンの「短くて固い音」の指示に正確に応えている。後にニルヴァーナ(Nirvana)『Nevermind』のミックスやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(Rage Against the Machine)の制作で名を轟かせるエンジニアのキャリアは、ここから出発している。

コロンビアが流通を拒否した「Angel of Death」

音は固まった。問題はその先で発生する。1曲目「Angel of Death」を聴いたデフ・ジャム(Def Jam)の流通元コロンビア・レコード(Columbia Records)の社長ウォルター・イェトニコフ(Walter Yetnikoff)が、流通を拒んだのである。ハネマン作詞のこの曲は、アウシュビッツでヨーゼフ・メンゲレが行った人体実験を、距離を取らず描写していた。ユダヤ系のイェトニコフは「私の株主は全員ユダヤ人だ」と言い放ち、この曲を外さない限りリリースしないと通告した。

Reign in Blood 制作——暗い背景にレコード盤のクローズアップ
Photo by Guillaume TECHER on Unsplash

1986年4月予定だったリリースは凍結された。ルービンは曲を外す選択を取らなかった。バンド側も「ナチを賞賛する歌ではなく、医者が殺戮者へ転じた経路への関心を書いた」と繰り返し説明している。ハネマンは英NMEに「いろいろ読んで、医者であった男が虐殺者になる過程に取り憑かれた」と答えた。出口を探していたルービンが見つけたのが、ゲフィン・レコード(Geffen Records)に流通だけ引き受けてもらう道だった。1986年10月7日、ゲフィン経由で『Reign in Blood』はようやく市場に出る。ゲフィン側も反発を恐れ、自社の公式リリーススケジュールにこのアルバムを載せなかった。

28分58秒、10曲——短さが暴力へ変換された日

10曲、合計28分58秒。当時のヘヴィメタル・アルバムとして明らかに短い。引き算の発想は、収録時間にも貫かれている。残響を切り落としたのと同じ理屈で、引き延ばしたソロや繋ぎの間奏も切り詰められた。最後の「Raining Blood」が叩き出すブラストの直後、針が音溝を抜けてレコードが終わる感覚は、聴いた者を「もう一度頭から」へ強制的に押し戻す。

Reign in Blood 制作——回転するターンテーブルとレコード針の接触面
Photo by Marc Schulte on Unsplash

1986年以前のスラッシュは、速さの中に勇壮さや叙事詩性をまだ残していた。ルービンが SLAYER から削り落としたのは、その装飾の側である。残ったのは、脈打つ速度と、距離ゼロの叫び。後続のデスメタルブラックメタル、グラインドコアは、この音像に対する応答として自分たちのサウンドを設計していくことになる。「より暴力的に」という言葉をルービン本人は一度も使っていない。彼が現場で出した指示は「もっと短く、もっとくっきり、にじまないように」——その一行に尽きる。引き算の言葉で、結果として誰よりも暴力的に聴こえる音が生まれた。

『Reign in Blood』制作から40年、ルービンが渡したもの

『Reign in Blood』のスピーカー越しに鳴っているのは、いまも輪郭である。輪郭が崩れないから、リフのキメも、ロンバードの一打も、アラヤの怒鳴り声も、初聴の翌日まで耳の奥に残る。プロデューサーが現場で何を引いたかを聴き手の耳が覚えてしまうレベルの仕事は、メタルの歴史でそう多くない。メタルの作法を知らない男が、耳の違和感を頼りに引いた跡が、いまも『Reign in Blood』の表面に乗ったままで鳴っている。

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