2005年2月4日、フィンランドのセンテンスト(Sentenced)が解散を発表した。ギターのサミ・ロパッカ(Sami Lopakka)が出した声明はこう始まる——新作のタイトルは『The Funeral Album』、これをもって我々センテンストは自分たちの道の終わりに来る。同年5月31日に出た8枚目は、予告どおり最後の一枚になった。幕引きを先に宣言してから世に出たアルバムだ。
順番が引っかかる。声明が使った「我々の道の終わりに来る」という言い回しは、その時点でまだ店頭に無かった終曲「End of the Road」の歌詞と重なっている。録音は前年の2004年に終わっていた。歌のほうが先にあって、解散声明があとから自分たちの曲の言葉を借りている。
解散を決めてから録音するということ
終わりを決めた時期を、ボーカルのヴィレ・レイヒアラ(Ville Laihiala)が当時のインタビューで具体的に語っている。最終決定は2004年の夏、曲作りがちょうど半分まで進んだところだった。残りの曲は、これが最後になると全員が知りながら書き足されている。
録音そのものは精神的にいちばんきつかったとレイヒアラは言う。最後のアルバムは一度しか作れない、というのがその理由だった。
“Obviously it affected the songwriting, and you can hear the ending of the band in almost every song on the CD.”
当然それは曲作りに影響したし、バンドが終わることはCDのほとんど全曲から聴き取れる
— ヴィレ・レイヒアラ/Darkside.ru インタビュー(2005年4月18日)
解散の理由について、レイヒアラは音楽とは関係がないと明言している。音楽の周りにあるもの——家をあまりに長く空けること——のほうが続けられなくなったのだと。バンドが荒れた形跡はどこにも出てこない。ロパッカの声明はもっと素っ気なく、再結成もカムバックも、昨今流行りの安っぽいメロドラマもやらないと書き切っている。発表から21年、その一文はまだ破られていない。
13曲の主語が変わっている
センテンストは死を歌い続けたバンドとして知られている。『Crimson』(2000年)には「Killing Me Killing You」「My Slowing Heart」「Bleed in My Arms」が並び、『The Cold White Light』(2002年)には「Excuse Me While I Kill Myself」「The Luxury of a Grave」が入る。どれも一人称の歌で、私の心臓が遅くなり、私の腕の中で誰かが血を流す。閉じた部屋の、私とあなたのあいだで起きている出来事だった。
『The Funeral Album』の13曲は、そこから主語をずらしている。「We Are But Falling Leaves」——我々は落ちていく葉にすぎない。「Consider Us Dead」——我々を死んだものとみなせ。「Lower the Flags」——旗を降ろせ。命令形と、一人称複数。
「Lower the Flags」の歌詞はとりわけ分かりやすい。旗を半旗まで降ろせ、良い男が逝った、と繰り返す。この文句は死んでいく本人には歌えない。歌っているのは弔う側で、聴かされているのは葬列に並んだ人間である。「Consider Us Dead」も同じ構えで、銃を上げて狙って撃て、と相手に頼む形を取っている。
開幕の「May Today Become the Day」に至っては、個室ですらない。雨が地面を叩き、雫は氷のように冷たく、夜明けとともに塹壕が揺れる。大勢がまとめて死ぬ朝の光景が置かれている。
発売直後、米国のメタル媒体 Last Rites はこの盤について「センテンストは見事な遺書を書いた」と評した(”Sentenced have written a superb suicide note.”)。言い当てているようで、半歩ずれている。遺書なら主語は「私」でなければならない。ところがこの13曲の主語は「我々」で、しかも聴き手へ差し出す呼びかけの形をしている。読み上げられているのは遺書ではなく、式次第である。
『The Funeral Album』が選んだ幕引きの作法
式次第として読むと、この盤の作りが腑に落ちてくる。壮大さがまるで無いのだ。
13曲のうち2曲は1分前後の小品で、5曲目「Where Waters Fall Frozen」は58秒のインスト、12曲目「Karu」は1分3秒しかない。karu はフィンランド語で荒涼・不毛を指す語だ。終曲「End of the Road」にしても5分ちょうどで、10分の組曲でもなければ大団円でもない。
残りは案外まっすぐなロック曲が占める。「Ever-Frost」は4分あまりを走り抜け、「Drain Me」も似た尺で押し切ってしまう。葬式のアルバムだと身構えて再生した人は、拍子抜けするかもしれない。
それでいい。葬式で主役は喋らないからだ。式は淡々と進み、参列した側が旗を降ろし、荷を置いて帰っていく。「End of the Road」の歌い出しも、さあここまで来た、荷を下ろそう、という所作から始まる。盛り上げずに閉じる終わり方を、このバンドは意図して選んでいる。
9曲を書いた男
クレジットを見ると、この盤の輪郭がもう一段はっきりする。作曲はミーカ・テンクラ(Miika Tenkula)が9曲、レイヒアラが2曲、ロパッカが1曲、残る1曲がバンド名義のインスト。歌詞は13曲中11曲をロパッカが書いている。
テンクラは1989年にオウル近郊のムホスでこのバンドを始めた人物で、デビュー作『Shadows of the Past』(1991年)では歌も担当していた。声はレイヒアラのまま、最後の一枚で曲を書く手だけが創設者へ寄っている。
2009年2月、テンクラは自宅で亡くなった。34歳だった。遺族によれば遺伝性の心疾患による心臓発作で、その病はバンドが終わるずっと前から抱えていたという。
これを知ってから「Lower the Flags」を聴くと、曲の性格が変わってしまう。演出として用意されたはずの半旗が、4年後に本物の弔いになった。予感だったとは私は思わない。バンドが自分たちのために書いた式次第を、現実があとから流用した——順番はそういうことだった。
2005年10月1日、オウル
お別れの公演は春から夏にかけてヨーロッパを回り、2005年10月1日、地元オウルのクラブ・テアトリアで終わった。この夜には初期のボーカルだったタネリ・ヤルヴァ(Taneli Jarva)がゲストで加わり、5曲を歌っている。歴代の声を一晩に並べる構成は、そのまま告別式の弔辞に見える。
その夜は『Buried Alive』として2006年11月に映像化され、フィンランドでゴールド認定を受けた。埋葬されたのに生きている、というタイトルの矛盾が、解散したバンドの音源が売れ続ける状況を先に言い当てている。
同じ90年代初頭のフィンランドのデスメタル勢から出てきたアモルフィス(Amorphis)は、神話と叙事詩の方角へ歩いていった(AMORPHIS入門)。センテンストが降りていったのは、伝説を一つも持たない私事のほうだ。家を空けすぎた5人の男が、自分の手で自分の旗を降ろしている。
再結成はないと書いたあの声明から21年、約束はまだ破られていない。センテンストの音は2005年で止まったままで、再生するたびに変わらない温度で鳴る。式は途中で崩れることなく最後まで進み、旗は毎度きっちり同じ高さまで降りていく。

