90年代の重低音と聞いて最初に鳴り出すのは、たいていパンテラ(Pantera)だ。胸を立て続けに殴ってくるリフ、足首を掴んで床ごと引きずっていくグルーヴ——あの暴力的な質量が、90年代メタルの輪郭をひとりで描いたことになっている。耳を半歩だけ奥へ送ると、同じ重さを別の坑道から掘り当てていた連中の音が、ずっと低いところで鳴り続けているのに気づく。
その音は四半世紀をまたいでも表面が錆びていない。今のスラッジが踏み固めた地面、ドゥームが垂直に掘った縦穴、ニューメタルが舗装した幹線——その最初の足跡を残したのは彼らだ。ここで針を落とす5枚は、出身も組み方もてんでばらばらで、重さに一度も妥協しなかったというその一点だけで繋がっている。
1. クロウバー(Crowbar)『Crowbar』(1993年)
クロウバー(Crowbar)はニューオーリンズで鳴っている。パンテラより遅く、そのぶん容赦なく重い。ギターと声を同時に握っているのがカーク・ウィンドスティン(Kirk Windstein)だ。ダウンチューンしたリフを一発置くたび、南部の湿った空気が弦の隙間から滴り落ちてくる。できるかぎり遅く、できるかぎり重く——美学はそれだけで、1993年のセルフタイトル作はその一点を最後まで疑わない。
卓に誰が座っていたかを知ると、当時のシーンの体温がそのまま手に移ってくる。プロデュースはパンテラの喉、フィル・アンセルモ(Phil Anselmo)だ。ウィンドスティンとは幼なじみでもある。グルーヴメタルを最前線で引いていた当人が、同じ街の遅くて重いバンドの卓に腰を据えていた。ジャンルの境界線より先に、重さへの信仰でとっくに繋がっていた連中がいた。その温度が、この一枚の鳴り方に焼き付いている。
幕を開ける「High Rate Extinction」、最初のリフ一発で勝負はもう動かない。速さで斬る音ではなく、質量だけで上から潰しにくる。この一発の沈み込みが、のちのスラッジが共有する重力の基準になった。テンポは遅いのに、リフが落ちるたび胸の底に同じ重さが積もっていく。
2. プロング(Prong)『Cleansing』(1994年)
プロング(Prong)はニューヨークで、誰の隣でもない場所に立っていた。スラッシュメタルとインダストリアル、その細い継ぎ目の上だ。バンドを一度も手放さなかったのがトミー・ヴィクター(Tommy Victor)だ。彼のリフは機械のように正確で、芯のところに熱がはっきり残っている。反復と加速がせり上がっていく、その底でずっと剥き出しの怒りがくすぶっている。
1994年の『Cleansing』は、数年後に来るニューメタル全盛をまるごと先回りした一枚だ。核は「Snap Your Fingers, Snap Your Neck」に全部詰まっている。機械的な反復の下で暴力がうねっていく手触りは、のちのメタルコアの遺伝子そのものだ。この曲のビデオはMTVで回り続け、「Beavis and Butt-Head」の一編にまで顔を出した。それでもパンテラほどの扱いは、最後まで回ってこなかった。
それを時代の不運の一語で片づけてしまうのは惜しい。プロングが地面に埋めた種は、のちにメタルのあちこちでばらばらに芽を出していった。インダストリアルとグルーヴを同じ時期にひとりで両立させた手つきは、いま並べて聴いてもまるで古びていないのだから。
3. コロージョン・オブ・コンフォーミティ(Corrosion of Conformity)『Deliverance』(1994年)
コロージョン・オブ・コンフォーミティ(Corrosion of Conformity)は、もともとハードコアパンクの側から走ってきたバンドだ。その出自を1994年の『Deliverance』で大きく曲げ、サザンメタルの本道へ踏み込んでいく。舵を切ったのがペッパー・キーナン(Pepper Keenan)だ。彼が初めてリードボーカルに立ったのがこの作品で、その低く粘る声が前に出たとたん、バンドの音の奥行きが一段深くなった。
看板は「Albatross」と「Clean My Wounds」の2曲だ。グルーヴメタルの重さを保ったまま、サザンロックの哀しみが裏でずっと鳴っている。ブラック・サバス(Black Sabbath)の重力を90年代の空気で起こし直し、そこへ南部の湿り気を足した音——パンテラがテキサスの硬さなら、これはノースカロライナの湿度のほうだ。
『Deliverance』はバンド最大のヒットになり、大手の流通網にもきちんと乗った。先の2曲はメインストリーム・ロックのチャートで、それまでの自己最高位まで届いている。商業的にも批評的にも無視などされていなかったのに、このバンドの名は90年代メタルの中心の物語から、なぜか半歩ぶん外へ置かれ続けてきた。いま改めて針を落とすと、その落差が音の太さの分だけ理不尽に響く。
4. アイヘイトゴッド(Eyehategod)『Take as Needed for Pain』(1993年)
アイヘイトゴッド(Eyehategod)もニューオーリンズの出だ。クロウバーよりもう一段、戻り道のない場所まで足を踏み入れている。マイク・ウィリアムス(Mike IX Williams)の声には、説明のつけようがない。ブラック・サバスの遅さと、パンクの噛みついてくる攻撃性が、ひとつの喉から同時に出てくる。バンドが自分たちの音を完全に掴んだのが1993年の『Take as Needed for Pain』で、タイトルどおり、痛みそのものを録ったような一枚になった。
これを「グルーヴメタル」の一語で括るのは、たぶん正確ではない。パンテラが差し出した「重く、遅いグルーヴ」を、行き着くところまで引きずっていった音だからだ。ローリングストーンの歴代メタル名盤100で92位に置かれているのは、懐古でも数字遊びでもない。スラッジという言葉を世に押し広げた一枚として、いまも必ずこの名が挙がる。
快適さを差し出してくれる音楽ではない。その不快をくぐり抜けた先に、ほかでは代えのきかない重さだけが残る。メタルがどこまで底へ潜れるのか——この一枚は理屈ではなく実際の音でそれを見せてくる。
5. スキンラブ(Skinlab)『Bound, Gagged and Blindfolded』(1997年)
スキンラブ(Skinlab)はサンフランシスコのバンドだ。音の立ち位置でいえば、パンテラとマシーン・ヘッド(Machine Head)のちょうど中間あたりに腰を下ろしている。引っ張っていたのは、ディファイアンス(Defiance)出身のスティーブ・エスキベル(Steev Esquivel)だ。1997年のこのデビュー作で卓に座ったのがアンディ・スニープ(Andy Sneap)だった。のちにメタルの音作りを語るうえで外せなくなる名前が、まだ無名のバンドの一作目に付いていた。
ニューメタル全盛のうねりに、正面からのまれた一枚でもある。とはいえ今あらためて通すと、その輪郭の整い方で手が止まる。リフの分離がいい。ローエンドが濁らず、グルーヴが団子にならずに前へ転がっていく。無名のまま埋もれるには惜しい解像度を、スニープの仕事がこの音に与えている。パンテラの重さに痺れた耳になら、このグルーヴは同じ周波数で返ってくる。
派手な代表曲で時代に名を刻むタイプのバンドではなかった。掴んだ手応えは、曲そのものより音の作り方の確かさのほうに残っている。
90年代の重低音は、パンテラだけのものではなかった
この5枚は、世に出たその時に十分な光を浴びられなかった。音そのものは、今になっても少しも錆びていない。現代のスラッジ、ドゥーム、ニューメタルの源流として、もう一度針を落とす値打ちが確かにある。
90年代の重さを背負っていたのは、パンテラ一組ではない。同じ時代に、同じ重さを別々の場所で掘り続けていた連中が、確かにいた。その音まで含めて聴いて、はじめて90年代メタルの地図はようやく本当の形に近づいていく。


