1989年2月22日、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアム。その夜、グラミー賞に新設されたカテゴリがある。「Best Hard Rock/Metal Performance(Vocal or Instrumental)」だ。メタルを初めて公式に認める歴史的な瞬間のはずだった。しかし受賞が発表された瞬間、会場は騒然となった。
なぜ「メタル枠」が生まれたのか
1980年代後半、ヘヴィメタルは無視できない市場になっていた。メタリカ(Metallica)の『…And Justice for All』は1988年8月の発売からわずか9週でプラチナ認定に届き、年内に170万枚を売った。それでも全米レコード芸術科学アカデミー(NARAS)は、メタルをジャンルとして認めていなかった。
メタルが上院に呼ばれた時代
背景には政治の動きがある。1985年、ワシントンの有力者の妻たちがPMRC(Parents Music Resource Center)を組織した。露骨な歌詞を持つレコードに警告ラベルを貼らせる運動だった。槍玉に挙げられた15曲——通称「Filthy Fifteen」——には、ブラック・サバス(Black Sabbath)やトゥイステッド・シスター(Twisted Sister)が並んでいる。
同年9月19日、上院の委員会で公聴会が開かれる。証言台にはディー・スナイダー(Dee Snider)、フランク・ザッパ(Frank Zappa)、ジョン・デンバー(John Denver)が立った。あの日メタルが議場で勝ち、店頭の棚で負けた——その帰趨はここでは追わない。効いてくるのは一点だけだ。メタルは、国政が名指しで議題に載せるほど大きくなっていた。
3年後、NARASはBest Hard Rock/Metal Performanceカテゴリを新設する。ロックとメタルをひとくくりにした粗削りな設計だった。カテゴリ名に「ロック」と「メタル」が同居していること自体、業界の理解の浅さを示している。粗くはあっても、メタルがグラミーの土俵に初めて乗ったことに変わりはない。
ノミネートが示す混乱
第31回グラミー賞のノミネートを見れば、カテゴリの迷走がよくわかる。AC/DCの『Blow Up Your Video』、イギー・ポップ(Iggy Pop)の「Cold Metal」、ジェーンズ・アディクション(Jane’s Addiction)の『Nothing’s Shocking』。そこへジェスロ・タル(Jethro Tull)の『Crest of a Knave』が並び、メタリカの『…And Justice for All』が加わった。
ハードロック、パンク、オルタナティブ、フォーク・プログレッシブ、スラッシュメタル——。5組の音楽性はバラバラだった。何を測る賞なのか、定義そのものが曖昧だった。
1989年2月22日、会場が凍りついた瞬間
授賞式の壇上に立ったのはアリス・クーパー(Alice Cooper)とリタ・フォード(Lita Ford)だった。二人がノミネートを読み上げ、受賞者を発表した。
「ジェスロ・タル」
その瞬間、会場でブーイングが起きた。驚きとも怒りともつかない声が上がった。
受賞者は会場にいなかった
ジェスロ・タルは授賞式を欠席していた。理由がある。所属レーベルのクリサリス(Chrysalis)が「メタリカが勝つに決まっている、わざわざ来るまでもない」と伝えていたからだ。バンドはそのときスタジオで作業していた。誰も取りに来ない賞は、プレゼンターのアリス・クーパーが代わりに受け取ることになる。
メタリカはその夜、会場にいた。ステージで「One」を演奏している。メタルバンドがグラミーの舞台で音を出したのは、これが最初だった。演奏を終えて席に戻ったバンドの前で、読み上げられたのは別の名前だった。
ジェスロ・タルの顔であるイアン・アンダーソン(Ian Anderson)は、後年こう振り返っている。
“[When the award] was ordered to Jethro Tull, to a barrage of boos and hisses and gasps of disbelief, I’d like to think that it wasn’t that the 6,000 voting members of the National Academy of Recording Arts and Sciences were voting for Jethro Tull as a heavy rock band or a heavy metal band. They gave us the award because we were a bunch of nice guys who never won a Grammy before.”
(ブーイングと野次と、信じられないという息を呑む声が浴びせられる中で、賞はジェスロ・タルに渡された。NARASの6,000人の投票会員が、私たちをヘヴィロックやヘヴィメタルのバンドとして選んだわけではない、と思いたい。一度もグラミーを獲ったことのない、いい奴らだから寄こしたのだろう。)
— イアン・アンダーソン(Ian Anderson)、Best Classic Bands のインタビューより
カンマ一つの開き直り
クリサリスは騒動を逆手に取った。イギリスの音楽誌に広告を打つ。鉄筋の山にフルートが一本、無造作に転がっている写真。添えられたコピーはこうだ。
「The flute is a heavy, metal instrument!」
heavy と metal のあいだにカンマが一つ入る。「フルートは重たい、金属製の楽器である」と読める。ヘヴィメタルの賞を獲った理由はこれだ、という開き直りだ。ジェスロ・タルはフルートを主軸に据えたプログレッシブ・ロックバンドで、そもそもメタルではない。エンタテインメント・ウィークリー(Entertainment Weekly)誌はこの一件を「グラミー史上最大の番狂わせ」と呼んだ。
ジェスロ・タルとは何者か
念のため書いておく。ジェスロ・タルが悪いわけではない。メタルかどうかという物差しを外して聴けば、傑出したバンドだ。
1967年にイングランドで結成された。イアン・アンダーソンのフルートを軸に、ブルース、フォーク、クラシックを溶かし合わせる。代表作『Aqualung』(1971年)は今もプログレッシブ・ロックの名盤として語り継がれる。
問題はカテゴリの設計だった。1987年リリースの『Crest of a Knave』は商業的に成功していた。NARASの投票者たちは、それを「ハードなロック」と解釈したのだろう。
責めるべき相手を間違えてはいけない。ジェスロ・タルは自分たちをメタルだと主張したことなど一度もない。獲らせたのは、間口を広げすぎたカテゴリの方だ。
番狂わせが変えたグラミーの歴史
この騒動は無駄ではなかった。批判を浴びたNARASは翌年、カテゴリを二つに割る。「Best Hard Rock Performance」と「Best Metal Performance」だ。メタルはようやく独立したジャンルとして扱われた。
メタリカが3年連続で受賞した事実
分割後、メタリカは本来の評価を受け取っていく。1990年、「One」で新設のBest Metal Performanceを獲った。翌年はクイーン(Queen)の「Stone Cold Crazy」のカバーで連覇する。1992年にはセルフタイトルアルバム——通称ブラック・アルバム——で3年連続の受賞を達成した。グラミー通算10勝という数字の土台は、この3年で据えられている。
3連覇の壇上で、ラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich)はマイクをこう握った。
“I think the first thing we gotta do, obviously, is we’ve gotta thank Jethro Tull for not putting out an album this year.”
(まず最初にやるべきは、今年アルバムを出さずにいてくれたジェスロ・タルに感謝することだろうね。)
— ラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich)、1992年グラミー賞の受賞スピーチ
会場は笑いに包まれた。3年前の遺恨は、こうして芸に変わる。
メタルを「公認」した代償
皮肉なことに、1989年の「事件」はメタルにとって転機になった。ジェスロ・タルへの誤授与が、逆にメタルを主流文化の議題に引き上げた。混乱の翌年にカテゴリは整備され、メタルは正式なジャンルとして扱われるようになる。
グラミーがメタルを本当に理解していたわけではない。無視できなくなっただけだ。多くのメタルファンにとって、アカデミーの承認などどうでもよかった。それでも制度としての可視化は、長い目で見ればシーンへの注目を集める力を持っていた。
迷走が終わったわけでもない。2012年と2013年、アカデミーは部門数の圧縮を理由に、メタル部門をハードロックと再び統合してしまう。分けたものを22年後にまた束ね直す判断だった。批判を受けてBest Metal Performanceは2014年に復活し、いまも続いている。
あれから37年。1989年の夜、シュライン・オーディトリアムで起きたブーイングがなければ、カテゴリの分割はもっと遅れていたかもしれない。

