1989年2月22日、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアム。その夜、グラミー賞に新設されたカテゴリがある。「Best Hard Rock/Metal Performance(Vocal or Instrumental)」だ。メタルを初めて公式に認める歴史的な瞬間のはずだった。しかし受賞が発表された瞬間、会場は騒然となった。
なぜ「メタル枠」が生まれたのか
1980年代後半、ヘヴィメタルは無視できない市場になっていた。メタリカ(Metallica)の『…And Justice for All』は全米でプラチナムを記録した。しかし全米レコード芸術科学アカデミー(NARAS)は当時、メタルをジャンルとして認めていなかった。
PMRCの公聴会が与えた影響
背景には政治的な動きがあった。1985年、上院議員の妻たちが組織したPMRC(Parents Music Resource Center)が公聴会を開いた。メタルを「有害な音楽」と断定し、規制を求めた。だが逆説的に、この公聴会がメタルの社会的影響力を世間に証明した。
そのためNARASは動いた。1988年、Best Hard Rock/Metal Performanceカテゴリを新設した。ロックとメタルをひとくくりにした粗削りな設計だった。カテゴリ名に「ロック」と「メタル」が混在していること自体、業界の理解不足を示していた。粗くはあっても、メタルがグラミーの土俵に初めて乗ったことに変わりはない。
ノミネートが示す混乱
第31回グラミー賞のノミネートを見れば、カテゴリの迷走がよくわかる。AC/DCの『Blow Up Your Video』、イギー・ポップ(Iggy Pop)の「Cold Metal」、ジェーンズ・アディクション(Jane’s Addiction)の『Nothing’s Shocking』。そこへジェスロ・タル(Jethro Tull)の『Crest of a Knave』が並び、メタリカの『…And Justice for All』が加わった。
ハードロック、パンク、オルタナティブ、フォーク・プログレッシブ、スラッシュメタル——。5組の音楽性はバラバラだった。何を測る賞なのか、定義そのものが曖昧だった。
1989年2月22日、会場が凍りついた瞬間
授賞式の壇上に立ったのはアリス・クーパー(Alice Cooper)とリタ・フォード(Lita Ford)だった。二人がノミネートを読み上げ、受賞者を発表した。
「ジェスロ・タル」
その瞬間、会場でブーイングが起きた。驚きとも怒りともつかない声が上がった。
受賞者は会場にいなかった
ジェスロ・タルは授賞式を欠席していた。理由がある。所属レーベルのクリサリス(Chrysalis)から「勝てるわけがない」と告げられていたからだ。バンドは欧州ツアーを優先した。
メタリカは会場で受賞を待っていた。読み上げられたのは別の名前だった。ジェスロ・タルの顔であるイアン・アンダーソン(Ian Anderson)は、後にこう語っている。
“It was ordered to Jethro Tull to a barrage of boos and hisses and gasps of disbelief. I’d like to think it wasn’t that the National Academy of Recording Arts and Sciences were voting for Jethro Tull as a heavy rock band or a heavy metal band: They gave us the award because we were a bunch of nice guys who’d never won a Grammy before.”
(怒号と驚きの声の中で、ジェスロ・タルへの授与が告げられた。NARASが私たちをヘヴィメタルとして票を入れたわけではないと思いたい。これまでグラミーを一度も獲っていない、いい奴らへの贈り物だったのだろう。)
— イアン・アンダーソン(Ian Anderson)、1989年
「フルートはヘヴィメタル楽器だ」
クリサリス・レーベルは翌日、皮肉な広告を出した。コピーはこうだった。
「The flute is a heavy metal instrument.」(フルートはヘヴィメタル楽器だ。)
この一言がすべてを物語っていた。ジェスロ・タルはフルートを主軸とするプログレッシブ・ロックバンドだ。そもそもメタルではない。エンタテインメント・ウィークリー(Entertainment Weekly)誌はこの一件を「グラミー史上最大の番狂わせ」と表現した。
ジェスロ・タルとは何者か
念のため書いておく。ジェスロ・タルが悪いわけではない。むしろ、メタルかどうかという物差しを外して聴けば、傑出したバンドだ。
1967年にイングランドで結成された。イアン・アンダーソンのフルートを中心に、ブルース、フォーク、クラシックを融合させた独自の音楽性を持つ。代表作『Aqualung』(1971年)は今もプログレッシブ・ロックの名盤として語り継がれる。
問題はカテゴリの設計だった。ジェスロ・タルはメタルではない。しかし1987年リリースの『Crest of a Knave』は商業的に成功していた。NARASの投票者たちはそれを「ハードなロック」と解釈したと思われる。
責めるべき相手を間違えてはいけない。ジェスロ・タルは自分たちをメタルだと主張したことなど一度もない。獲らせたのは、間口を広げすぎたカテゴリの方だ。
番狂わせが変えたグラミーの歴史
この騒動は無駄ではなかった。NARASは翌年から対応した。1990年、カテゴリが二つに分割された。一つは「Best Hard Rock Performance」。もう一つは「Best Metal Performance」だ。ようやくメタルは独立したジャンルとして扱われた。
これにより、ハードロックとメタルはそれぞれ独自の土俵を得た。少なくとも形式上は、業界が両者の違いを認めたことになる。
メタリカが3年連続で受賞した事実
分割後、メタリカは本来の評価を受け取っていく。1990年の授賞式では「One」でBest Metal Performanceを初めて獲った。翌年はクイーン(Queen)の「Stone Cold Crazy」カバーで連覇し、1992年にはセルフタイトルアルバム——通称ブラック・アルバム——で3年連続の受賞を達成する。
3年連続の受賞は、バンドの圧倒的な存在感を証明するものだった。もし1989年からカテゴリが分離されていれば、結果は別のものになっていたかもしれない。
メタルを「公認」した代償
皮肉なことに、1989年の「事件」はメタルにとって転機になった。ジェスロ・タルへの誤授与が、逆にメタルを主流文化の議題に引き上げた。NARASは混乱を認め、カテゴリを整備した。その結果、メタルは正式なジャンルとして扱われるようになった。
グラミーがメタルを本当に理解していたわけではない。しかし無視できなくなったのは確かだ。多くのメタルファンにとって、アカデミーの承認などどうでもよかった。それでも制度的な可視化は、長期的にシーンへの注目を集める力を持っていた。
あれから37年が経つ。Best Metal Performanceカテゴリは今も続いている。1989年の夜、シュライン・オーディトリアムで起きたブーイングがなければ、カテゴリの分割はもっと遅れていたかもしれない。


