1991年、メタルは死んだのか生まれ変わったのか

メタル年代記
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「1991年でメタルは死んだ」——耳にタコができるほど聞かされてきた一文だ。雑誌の見出しで、ライブハウスのカウンターで、SNSのタイムラインで。口にされるたび私が引っかかるのは同じ一点で、死んだのは本当に「メタル」だったのか、というところに足が止まる。

神話を一度ばらして、組み直すしかない。1991年の十二ヶ月で何が動いたのか——三十年以上が過ぎたいまのスピーカーで、その地殻変動の音を順番に鳴らし直していく。

1991年に商業的な行き止まりへ突き当たったのは「ヘアメタル」という一つの支流であって、メタルというジャンル全体ではない。同じ年、地下ではデスメタルとスラッシュが深く潜り、グランジがメタルの遠い親戚として生まれている。1991年は、メタルが幾つもの層に分かれていく分岐点だった。

1991年、その十二ヶ月でメタルに何が起きたか

1991年 メタル——モノクロのコンサート会場、ステージとオーディエンス
Photo by Kovid Rathee on Unsplash

ブラック・アルバムが鳴らした音

1991年の夏、メタリカ(Metallica)が通算5作目『Metallica』を出した。通称は『ブラック・アルバム』。プロデューサーにボブ・ロックを迎え、前作までの乾いて骨ばった音像から、彼らは舵を大きく切っている。リフは太く、輪郭は誰でも一度で口ずさめるところまで削り出され、音と音のあいだに息継ぎの間が空いた。発売されるなりチャートの頂点に居座り、メタル史上もっとも売れた一枚になっていく。

この変化を「売れ線への妥協」と切り捨てる声を、私は採らない。実際に音を浴びれば分かる。ヴォーカルが一歩前へ出て、各楽器が自分の床面積を持っている。ぶつかって濁っていた帯域が整理され、ひとつひとつが立ち上がってくる。メタルをほとんど通らなかった耳にも届くように設計された音が、ここにある。

売れ筋が一夜で入れ替わった

その六週間ほど後、ニルヴァーナ(Nirvana)が『Nevermind』を放った。「Smells Like Teen Spirit」のMVがMTVのローテーションに食い込み、アルバムはチャートを駆け上がる。年が明けた一月、ついにビルボード200の頂点へ届いた。そこで蹴り落とした相手が、首位に座っていたマイケル・ジャクソンの『Dangerous』だ。キング・オブ・ポップの王座を、横から奪い取ったかたちになった。

この数ヶ月で、ポイズン(Poison)やウォーラント(Warrant)のセールスは目に見えて沈んでいく。レーベルの新人発掘の指針が、スプレーで固めた髪からフランネルシャツへ一夜で切り替わった。音楽産業はいつでも、いま売れているものの周りに群がる。80年代を支配した音の様式が数ヶ月で旧式になり、当の演者たちはまだ何が起きたのか掴めずにいた。

🎵 Spotifyで メタリカ -『Metallica』を聴く

1991年8月のオリジナルスタジオ盤、全12曲。
🎬 YouTubeで メタリカ「Enter Sandman」を観る

ブラック・アルバムの幕開け。重さと聴きやすさが同じ場所で鳴っている。

「メタル」という言葉が指していたもの

1991年 メタル——ステージのパフォーマーと手を挙げる観客のシルエット
Photo by Pınar Özpınar on Unsplash

言葉のすり替え

80年代後半のアメリカで、「メタル」という語はしばしば「ヘアメタル」とほぼ同義で流通していた。MTVを賑わせたモトリー・クルー(Mötley Crüe)、ポイズン、ウォーラント——派手な見た目とパーティー志向の歌詞を持つ一群が、ジャンルのイメージを丸ごと預かっていた。電波に乗る顔だけが、ジャンル全体の顔だと受け取られていた。

批評家の窓に映らなかった地形

メタルというジャンルそのものは、それよりずっと広くて深い。ブラック・サバス(Black Sabbath)に発し、アイアン・メイデン(Iron Maiden)やジューダス・プリースト(Judas Priest)が骨格を組んだところへ、スラッシュ四天王——メタリカ、スレイヤー(Slayer)、メガデス(Megadeth)、アンスラックス(Anthrax)——が速度を引き上げる。その下でドゥームとデスとブラックが、それぞれの速さで同時に鳴っていた。電波に乗っていたのは、その地形のほんの一筋でしかない。

チャートとMTVという窓からしか音楽を覗かない書き手に、その地形は映らない。視界に入っていたのは電波に乗るメタルだけで、1991年に瓦解したのも「ヘアメタル」というごく特定の一支流でしかなかった。「メタルが死んだ」と書いたとき彼らが見ていたのはチャートの順位であって、地下で鳴っていた音ではない。ヘアメタルが消えたのを、ジャンルそのものが消えたと取り違える——その取り違えは、その後もずいぶん長く引き継がれていくことになる。

グランジが受け取っていた重さ

コバーンが浴びていたもの

「グランジがメタルを殺した」というもうひとつの神話も、音をたどると筋が通らなくなる。カート・コバーンはブラック・サバスを浴びて重い音楽に目覚めた人間で、自分のバンドの音を、ザ・ナック(The Knack)とベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)をブラック・フラッグ(Black Flag)とブラック・サバスがめちゃくちゃにしたような音、と言い表したことがある。半分は冗談にしても、その並びにサバスの名が混じっているのは見落とせない。

「In Bloom」の沈み込む低音にも、その出自は出ている。コバーンが拒んだのはメタルの本体ではなく、ヘアメタルの過剰な装飾と空洞化したパーティー感のほうだった。内省や痛み、自己破壊や拒絶といった、80年代のラジオが避けてきた感情を、彼は轟音と歪みで吐き出す。低音の重さの作り方そのものは、サバスから受け取ったまま使っている。

シアトルで手渡された技術

サウンドガーデン(Soundgarden)はもっと直接的で、重力を持った低音そのものに執着していた。アリス・イン・チェインズ(Alice in Chains)のジェリー・カントレルは、あの不穏に唸る低音の鍵——ドロップDチューニング——を、サウンドガーデンのギタリストから手渡されている。シアトルのバンド同士でやりとりされたその技術が、グランジの重さの芯に座った。「Man in the Box」のうねる低音に耳を寄せると、ドゥームメタルの呼吸をそのまま吸い込んでいるのが聴こえてくる。境界線は、世間で言われているほどくっきりとは引かれていない。

パンクとメタルを浴びた若者が、自分の感情に合うように手持ちの音を組み直した。外から攻めてきた侵略者という筋書きは、その出自を一つずつ追っていくと足元から崩れる。

🎬 YouTubeで ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」を観る

クリーンなコードが四回、五回目でバンドが歪みごと雪崩れ込む。

同じ年、地下で鳴っていた音

1991年 メタル——アンダーグラウンドの会場でギターを弾くミュージシャンと観客
Photo by Blake Carpenter on Unsplash

デスとスラッシュの深化

メインストリームの動きにばかり耳目が集まっていたが、その裏で1991年のアンダーグラウンドはむしろ豊作だった。モービッド・エンジェル(Morbid Angel)は『Blessed Are the Sick』で、純粋な破壊力に遅さと不穏な静寂、儀式めいた重みを足してくる。速さだけが武器ではないと、この一枚は身をもって示す。デス(Death)の『Human』では、チャック・シュルディナーの込み入ったリフが感情から逃げず、むしろ感情そのものを精密に彫っていく。デスメタルに知性が宿りうることを、声高に主張せず前提のように鳴らしてみせた。

セパルトゥラ(Sepultura)は『Arise』で、ブラジルから世界水準のスラッシュを叩きつけた。その精度と熱量が、地下の温度を一段押し上げる。スレイヤー(Slayer)はライブ盤『Decade of Aggression』で、スタジオ盤とは別物の凶暴さを記録に焼きつけている。客席の悲鳴ごと刻まれた音には、スタジオでは決して出ないバンドの体温が残っていた。電波の外側で、この種の音はむしろ密度を増していた。

北欧の火と、次の波

北欧でも別の火が灯ろうとしていた。ノルウェーの若い世代が独自のブラックメタルを練りはじめ、後にシーンを爆発させる種が、この年のうちに撒かれている。アメリカのヘアメタルとは正反対の方角で、音は進化を止めていなかった。前年に『Cowboys from Hell』でグルーヴ・メタルの輪郭を引いたパンテラ(Pantera)は、翌年に叩きつける『Vulgar Display of Power』のリフを、ちょうどこの年に研いでいる最中だった。その低音の重さを実際に浴びれば、「メタルは死んだ」という言い回しがどれだけ的を外しているかが体でわかる。1991年はメタルが多層化し、深く潜った年で、表通りでそれが話題に上らなくなっていただけだった。

三十年後の音から聴き直す

1991年 メタル——コンサート会場に吊られたスピーカーシステム
Photo by Clint Patterson on Unsplash

三十年以上が過ぎたいま、答えは耳で追える。ストリーミングのプレイリストを開けば、1991年の選択がどこへ向かったかが聴こえてくる。マストドン(Mastodon)の重層的なリフにも、ゴジラ(Gojira)の環境音めいた轟音にも、いまの若い世代の容赦ないヘヴィネスにも、あの年に分かれた二本の水脈——メタルが磨いた音圧と、グランジが持ち込んだ内省——が、上下の別なく混ざって流れている。

「Smells Like Teen Spirit」は、クリーンに割れたコードが四回、つんのめるように鳴るところから始まる。五回目で歪みが全帯域へ雪崩れ込み、スネアとベースが同時に踏み込んで、抑えられていた音圧が一息にほどける。あの落差の設計が、80年代の様式にいちばん欠けていたものだった。

グランジは内省を轟音で吐き出す技を持ち込み、メタルは音圧で世界に抗う技を磨き続けた。現代のヘヴィミュージックはハードコアやポストロック、エクストリーム系の語彙まで呑み込みながら、その二つが噛み合った地点から、いまも枝を伸ばしている途中にある。

だから「1991年でメタルは死んだ」という一文は、半分しか言い当てていない。行き止まったのは80年代の様式とヘアメタルという支流で、本体のほうはその年に枝分かれして、別々の深さへ潜っていった。

1991年に枝分かれした音は、デスメタルへ、グランジへ、その先のヘヴィミュージックへと、別々の深さで伸びていった。三十年が過ぎたいまも、その流れはそれぞれの場所で鳴り続けている。

表側のブラック・アルバム、地下の『Human』、その先を研いでいたパンテラ。この三枚を続けて聴けば、1991年に音が分かれていった筋道が、自分の耳で追える。

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