DIE MANNEQUIN という遺言——Care Failure が36歳で残したカナディアン・パンクの輪郭

Care Failure ── DIE MANNEQUIN という遺言——Care Failure が36歳で残したカナディアン・パンクの輪郭 埋もれた名盤
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カナダの東のはずれ、トロント(Toronto)の街で、ある朝にひとつの声が途絶えた。ダイ・マネキン(Die Mannequinを率いた ケア・フェイラー(Care Failure)が2023年3月30日に逝ったというニュースを、私は彼女のバンド名と並んで初めて読んだ。本名は Caroline Slezak Kawa、まだ36歳だった。日本では大きく報じられた記憶もない。訃報を伝えたのはトロントの音楽メディア Exclaim! で、カナダのミュージシャンたちが次々に追悼の言葉を寄せている。残された録音は2枚のフル・アルバムと3枚のEPだ。聴くしかない——カナディアン・パンクのこの欠片を。

フロントウーマン Care Failure が率いたトロントのバンド Die Mannequin は、フル2枚『Fino + Bleed』(2009) と『Neon Zero』(2014)、3枚のEPを残して2023年3月で止まった。本人は36歳で他界している。日本での知名度は低いままだが、ガンズ・アンド・ローゼズやマリリン・マンソンの前座を務めた実力派だ。

Care Failure というフロントウーマンの輪郭

Care Failure——ステージのマイクに立つシルエット
Photo by Uwe Conrad on Unsplash

Caroline Slezak Kawa が ダイ・マネキン をトロントで結成したのは2005年だった。左腕には ソニック・ユース(Sonic Youth) の『Goo』のジャケットが、そっくりそのまま彫り込まれている。グランジとパンクを母乳代わりに育った北米の女性が、ギターを抱えて自分のマイクの前に立つ姿——それが20歳前後の Care Failure の原型だった。

ついて回ったのは コートニー・ラブ(Courtney Love) の名前だ。バンドの公式バイオですら、彼女は「盗んだダウンチューンのリフを並べ、マイクに向かって不機嫌に吠える、コートニー・ラブやブロディ・ダルの出来損ない」では終わらなかった、とわざわざ断っている。比較を先回りして否定する一文がバイオに要るほど、その比較は執拗だったわけだ。

ブロディ・ダル(Brody Dalle)は ザ・ディスティラーズ(The Distillers)のフロントウーマンで、Care Failure は「ブロディ・ダル以降で最も強い女性パンクの存在」と書かれたこともある。比較は出発点であって到着点ではない。彼女自身の説明はもっと素っ気ない。「私はリフの女なんだ」——カイアス(Kyuss)みたいな重いリフの周りで曲を組み立てていたが、そのうちキャッチーな部分も要ると気づいてサビを作りはじめた、と本人は言う。借り物のグランジで終わらなかった理由が、この一言に収まっている。

最初の2枚のEPと『Unicorn Steak』

2006年、デビューEP『How to Kill』を発表する。プロデュースを手がけたのはデス・フロム・アバヴ1979(Death from Above 1979)のジェシー・F・キーラー(Jesse F. Keeler)で、本職のベーシストが彼女のためにドラムまで叩いている。続く2007年秋の『Slaughter Daughter』では、ビリー・タレント(Billy Talent)のイアン・ディーサ(Ian D’Sa)が2曲——「Do It or Die」と「Saved By Strangers」——のプロデュースに入った。カナダの先輩格の表現者が、新しい声を順番に押し上げる構図がここに見える。

同年11月にはこの2枚のEPをまとめた『Unicorn Steak』が出る。新曲とビートステークス(Beatsteaks)のカバー「Hand In Hand」を加えた編成で、スタジオ・フル・アルバムとして数える人もいれば、コンピレーションとして扱う人もいる。その曖昧さが、まだ形を定めていない若いバンドの体温をそのまま伝えてくる。

このコンピレーションは1曲目の「Do It or Die」で口火を切る。イアン・ディーサ がツマミを握った、まだ二十歳そこそこの Care Failure の歌だ。歪んだギターが前のめりに突っ込んでいく初期パンクの手触りで、若いバンドが最初に掴んだ熱量がそのまま残っている。後年の重心の低い『Neon Zero』から戻って聴くと、この初期衝動のまっすぐさがよけいに際立つ。

🎵 EP『Slaughter Daughter』発の一曲で、編集盤『Unicorn Steak』の1曲目に置かれた初期の代表曲。

『Fino + Bleed』(2009)——最初に立てた正式な旗

Care Failure——夜のトロントの摩天楼が水面に映る
Photo by Juan Rojas on Unsplash

2009年9月8日、最初のフル・アルバム『Fino + Bleed』が発売される。AC/DC やエアロスミス(Aerosmith)を手がけた Mike Fraser が担当した。歪んだギターの輪郭がくっきり立ち、ヴォーカルは粗いままど真ん中に置かれている。粗さは引き算の結果ではなく、わざと残された手触りだろう。バンドを追った記録映像『The Rawside of…Die Mannequin』はその前年、2008年のNXNEで初上映され、2009年にIFCで放映された。カメラを回したのは映画監督のブルース・マクドナルド(Bruce McDonald)で、カナダのジェミニ賞(Gemini Awards)の撮影賞と編集賞、2部門にノミネートされている。代表曲「Bad Medicine」のMVは今も公式チャンネルに残っており、ステージで動く彼女の姿を映像として確認できる。

🎬 『Fino + Bleed』からの代表曲。バンドの公式映像で彼女の演奏姿が残されている数少ない記録のひとつ。

同じ『Fino + Bleed』から、もう一つの看板が「Dead Honey」だ。薄暗い広間で縛られたまま歌う Care Failure が、最後には男に車へ連れ去られていく——そんな物騒なMVがつくられた一曲だ。Bad Medicine のひりついた攻撃性とは別の顔で、こちらは彼女のメロディの強さがいちばん前に出ている。叫べるだけの歌い手ではなく、フックを書ける書き手なのだと、この曲がはっきり示している。

🎬 2009年『Fino + Bleed』収録。縛られた女が連れ去られていく物騒な映像で、本文どおりの公式MVが残っている。

この年からツアーが本格化していく。マリリン・マンソン(Marilyn Manson)の「The High End of Low Tour」カナダ公演で前座を務めたのが2009年のことだ。それ以前にも、ガンズ・アンド・ローゼズの2006年北米ツアー東部脚、バックチェリー(Buckcherry)のカナダ・ツアー、サム41(Sum 41)の公演で大きな会場の前列に立っている。Care Failure の声と曲が、PAを通して数千人の前で生き残ったことの記録でもある。

🎵 2009年のフル・アルバム1作目。Mike Fraser のギター音像が要所で効く。
『FINO + BLEED』: Amazon

『Neon Zero』(2014)——5年の沈黙を破った第二章

2014年10月28日、5年ぶりの2作目『Neon Zero』が出る。「evil dance metal(邪悪なダンス・メタル)」——EDMという略語をひっくり返したこの造語は、Care Failure 自身の言葉だ。ギターとシンセを同居させる方向を、彼女は「自然な進化」と呼んでいる。カナダの音楽誌 Exclaim! はその看板に冷たかった。リフの大半はメタルよりハードロックに近く、名前が音に追いついていない、と書いている。

批評としては正しい。それでも、モッシュピットとダンスフロアの両方で鳴る場所を探しに出たこと自体が、1作目の粗いパンクのアタックからどれだけ離れたかを示している。同じバンドが鳴らしているのに、温度がはっきり違う。Care Failure はこのときすでに、若さの慣性で叫ぶだけの歌い手ではなくなっていた。

🎵 2014年の2作目。ギターとシンセの同居を探った5年ぶりの音。
『Neon Zero』: Amazon

この5年の空白の途中、2012年に9曲入りのEP『Danceland』が挟まる。B面・再録・ライブ音源に新曲を抱き合わせた構成だ。最後の3曲は、彼女が主演した映画『Hard Core Logo 2』の撮影と並行して録音されている。場所はサスカチュワン州マニトゥ・ビーチに建つ築80年の巨大なダンスホール、その名も Danceland。カナダの伝説的プロデューサー Peter Moore がフロアにマイクを立て、一発録りで押さえた。EPのタイトルは建物の名前そのものだ。表に出ない時間にも音は鳴っていた。

2023年3月30日の朝のこと

Care Failure——薄暗がりに持たれたヴァイナル盤
Photo by Cristian Georgescu on Unsplash

死因は感染症からくる多臓器不全と心不全だと公表されている。37歳の誕生日まで1ヶ月を切ったタイミングだった。フル・アルバムは『Neon Zero』が最後になったが、バンドが解けていたわけではない。2015年に編成を組み直し、彼女は最後までダイ・マネキンのフロントに立っていた。

“I’ll miss you so much. You’re the biggest bad ass, squaroline. I looked up to you as a performer and how you treated everybody with respect regardless of who they were or what they did for a living. Thank you for the millions of laughs and all the kindness and love.”

「本当に寂しくなる。あんたは誰より肝が据わってたよ、スクアロライン。演者としてのあんたを尊敬してた。相手が誰だろうと、どんな仕事をしていようと、あんたは全員に敬意をもって接した。数えきれない笑いと、優しさと、愛をありがとう」

— Kevvy(Fake Shark/元 Die Mannequin ベーシスト)/ Exclaim!

翌2024年5月2日、トロントの Bovine Sex Club で Failurefest という追悼イベントが開かれた。17年前に彼女のEPをプロデュースしたイアン・ディーサが、この夜はステージでギターを弾いている。チケットの売上は全額、彼女が生前ボランティアとして関わっていた慈善団体 Sistering へ寄付された。押し上げてくれた先輩と、彼女が手を差し伸べていた人たちが、同じ一夜に繋がっている。

残された記録はすべて手に入る。2枚のフル・アルバム、3枚のEP、ジェミニ賞ノミネートのドキュメンタリー、いくつかの公式MVとライブ映像が現役で流通している。聴き始める順番に正解はないが、私が最初に薦めるのは『Fino + Bleed』である。声の出始めが一番むき出しに鳴っているからだ。そこから『Neon Zero』へ移ると、同じ声が違う重心を持っていることが見えてくる。EPは時系列順に拾えば足りる。

日本のHM/HR・パンク・コミュニティで Die Mannequin の名前が話題に上がる場面に、私はまだ出会ったことがない。Care Failure も、海外の同世代の女性フロントマンに比べて日本語で語られる機会は少なかった。それでも音は残っている。聴かなければ、消えたままになる。

Die Mannequin の2枚は「コートニー・ラブの再来」でも「早すぎた死の記念碑」でもない。リフから曲を組み立て、途中でサビの必要に気づき、最後はダンスフロアの床まで踏みにいった書き手の記録だ。埋もれているのは物語のほうで、音のほうではない。
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