カナダの東のはずれ、トロント(Toronto)の街で、ある朝にひとつの声が途絶えた。ダイ・マネキン(Die Mannequin)を率いた ケア・フェイラー(Care Failure)が2023年3月30日に逝ったというニュースを、私は彼女のバンド名と並んで初めて読んだ。本名は Caroline Slezak Kawa、まだ36歳だった。日本では大きく報じられた記憶もない。トロントの現地紙は「ロックの象徴を失った」と書いている。残された録音は2枚のフル・アルバムと3枚のEPだ。聴くしかない——カナディアン・パンクのこの欠片を。
Care Failure というフロントウーマンの輪郭
Caroline Slezak Kawa が ダイ・マネキン をトロントで結成したのは2005年だった。10代の頃にはソニック・ユース(Sonic Youth)の歌詞をすべて諳んじていたと、本人がインタビューで明かしている。グランジとパンクを母乳代わりに育った世代の北米女性が、ギターを抱えて自分のマイクの前に立つ姿——それが20歳前後の Care Failure の原型だった。海外メディアは彼女を「ホール(Hole)のコートニー・ラブが髪を黒く染めてカナダから来たような存在」と評した。
引き合いに出されるもう一人に、ザ・ディスティラーズ(The Distillers)のブロディ・ダル(Brody Dalle)がいる。女が叫ぶロックの直系として並べられた書き手という位置づけだ。比較は出発点であって到着点ではない。Care Failure は借り物のグランジ・リフを並べる若手では終わらず、自分の旋律と歌詞を抱えたソングライターへと育っていった。
最初の2枚のEPと『Unicorn Steak』
2006年、デビューEP『How to Kill』を発表する。プロデュースを手がけたのはデス・フロム・アバヴ1979(Death from Above 1979)のジェシー・F・キーラー(Jesse F. Keeler)で、本職のベーシストが彼女のためにドラムまで叩いている。続く2007年の『Slaughter Daughter』では、ビリー・タレント(Billy Talent)のイアン・ディーサ が一部曲のプロデュースに入った。カナダの先輩格の表現者が、新しい声を順番に押し上げる構図がここに見える。
同年11月にはこの2枚のEPをまとめた『Unicorn Steak』が出る。新曲とビートステークス(Beatsteaks)のカバー「Hand In Hand」を加えた編成で、スタジオ・フル・アルバムとして数える人もいれば、コンピレーションとして扱う人もいる。その曖昧さが、まだ形を定めていない若いバンドの体温をそのまま伝えてくる。
このコンピレーションは1曲目の「Do It or Die」で口火を切る。元はEP『Slaughter Daughter』に入っていた曲で、まだ二十歳そこそこの Care Failure が歌っている。歪んだギターが前のめりに突っ込んでいく初期パンクの手触りで、若いバンドが最初に掴んだ熱量がそのまま残っている。後年の重心の低い『Neon Zero』から戻って聴くと、この初期衝動のまっすぐさがよけいに際立つ。
『Fino + Bleed』(2009)——最初に立てた正式な旗
2009年9月8日、最初のフル・アルバム『Fino + Bleed』が発売される。ミックスは AC/DC やエアロスミス(Aerosmith)を手がけた Mike Fraser が担当した。歪んだギターの輪郭がくっきり立ち、ヴォーカルは粗いままど真ん中に置かれている。粗さは引き算の結果ではなく、わざと残された手触りだろう。同時公開された記録映像『The Rawside of…Die Mannequin』はカナダのジェミニ賞(Gemini Awards)に2部門ノミネートされている。代表曲「Bad Medicine」のMVは今も公式チャンネルに残っており、ステージで動く彼女の姿を映像として確認できる。
同じ『Fino + Bleed』から、もう一つの看板が「Dead Honey」だ。縛られたまま薄暗い部屋で歌う Care Failure が、最後には男に車へ連れ去られていく——そんな物騒なMVがつくられた一曲だ。Bad Medicine のひりついた攻撃性とは別の顔で、こちらは彼女のメロディの強さがいちばん前に出ている。叫べるだけの歌い手ではなく、フックを書ける書き手なのだと、この曲がはっきり示している。
この年からツアーが本格化していく。マリリン・マンソン(Marilyn Manson)の「The High End of Low Tour」カナダ公演で前座を務めたのが2009年のことだ。それ以前にも、ガンズ・アンド・ローゼズの2006年北米ツアー東部脚、バックチェリー(Buckcherry)のカナダ・ツアー、サム41(Sum 41)の公演で大きな会場の前列に立っている。Care Failure の声と曲が、PAを通して数千人の前で生き残ったことの記録でもある。
『Neon Zero』(2014)——5年の沈黙を破った第二章
2014年10月28日、5年ぶりの2作目『Neon Zero』が出る。カナダの音楽誌 Exclaim! はこの音を「evil dance metal(邪悪なダンス・メタル)」と評した。ギターの轟音とビートの粘りを両立させた音、と読み解いてよい。1作目の粗いパンクのアタックから、もう一段だけ重心が後ろへ移っている。同じバンドが鳴らしているのに、温度がはっきり違う。Care Failure はこのときすでに、若さの慣性で叫ぶだけの歌い手ではなくなっていた。
この5年の空白の途中、2012年に9曲入りのEP『Danceland』が挟まる。B面・再録・ライブ音源に新曲を抱き合わせた構成で、最後の3曲は映画『Hard Core Logo 2』の撮影と並行して、カナダの伝説的プロデューサー Peter Moore のもとで録音されている。表に大きく出ない時間にも音が鳴っていたことが、この1枚から伝わってくる。
2023年3月30日の朝のこと
死因は感染症からくる多臓器不全と心不全だと公表されている。37歳の誕生日まで1ヶ月を切ったタイミングだった。バンドの実質的な活動は2014年以降止まっており、最後の数年は静かな日々が続いていたとされる。海外のリスナーは彼女を「カナディアン・ロックの象徴を失った」と弔い、地元では翌2024年に Bovine Sex Club で Failurefest という追悼イベントが開催された。生前ボランティアとして関わっていた慈善団体 Sistering への寄付が彼女の名で呼びかけられている。
残された記録はすべて手に入る。2枚のフル・アルバム、3枚のEP、ジェミニ賞ノミネートのドキュメンタリー、いくつかの公式MVとライブ映像が現役で流通している。聴き始める順番に正解はないが、私が最初に薦めるのは『Fino + Bleed』である。声の出始めが一番むき出しに鳴っているからだ。そこから『Neon Zero』へ移ると、同じ声が違う重心を持っていることが見えてくる。EPは時系列順に拾えば足りる。
日本のHM/HR・パンク・コミュニティで Die Mannequin の名前が話題に上がる場面に、私はまだ出会ったことがない。Care Failure も、海外の同世代の女性フロントマンに比べて日本語で語られる機会は少なかった。それでも音は残っている。聴かなければ、消えたままになる。隠れた名盤というラベルは、まさにこういう時のためにある。


