マルセイユから来た5人組が、ヨーロッパのメタルコアの輪郭をはっきり書き換えている。LANDMVRKS(ランドマークス)の音は派手ではない。むしろ重心が低い。録音の奥でうごめく弦の摩擦と、コーラスへ入る瞬間にすっと開ける空気の差がすべてを語る。
LANDMVRKSの『Lost in the Waves』で起きていること
2021年作『Lost in the Waves』のタイトル曲に、クリーン・ヴォーカルから絶叫へ折り返す瞬間がある。フロラン・サルファティ(Florent Salfati)の声は、その手前まで明らかに歌っている。ピッチの揺れも、息の入り方も、メタルコア標準の「歌うパート」の枠内に収まる。折り返した直後、声帯は別の楽器になる。歌い手のまま叫んでいるのではなく、歌い終わった人間が息のまま叫び続ける。
このバンドが評価される核は、クリーン↔スクリームの「切り替え」の精度ではなく、その境界線の溶かし方にある。境界が見えないので、感情の流れが切れない。同じ曲の終盤で、ギターのレイヤーが薄くなり、サルファティの声が一人で残る。歌でも叫びでもない、その中間の震えが最後の一音まで保たれる。
この緩急がアルバム全体の構造としても効いている。『Lost in the Waves』はドイツのアルバムチャートで17位を記録した。フランスのメタルコア・バンドがドイツ語圏で初動から数字を出すこと自体、欧州の聴き手が言語の壁ではなく音の核を聴いている証拠になっている。
新作『The Darkest Place I’ve Ever Been』が突きつけたもの
2025年4月25日、Arising Empire(アライジング・エンパイア)から発表された4作目『The Darkest Place I’ve Ever Been』は、前作で見せた「クリーンと絶叫の溶解」を一段先へ運んでいる。先行シングル「A Line In The Dust」では、ホワイル・シー・スリープス(While She Sleeps)のマット・ウェルシュ(Mat Welsh)をフィーチャー。冒頭のリフは耳慣れた音圧で鳴り始めるが、サビ前に一瞬すべてのギターが消える設計が入っている。空白を恐れていない構成だ。
アルバム告知と同時に落とされた「Sulfur」と「Sombre 16」は、新作へ入る二枚の扉だった。耳を掴むのは後者だ。1分あまりの短い曲で、サルファティは絶叫を手放し、フランス語でラップする。母音の硬さが、英語で歌うメタルコアとは違う手触りで届く。この1分がアルバムを前半と後半に割る蝶番になっている。派手ではない。聴き直すと、英語圏の様式には無い体温がそこにだけ残っているとわかる。
『The Darkest Place I’ve Ever Been』は、メタルコアという形式が「歌」と「叫び」の二択でないことを、構造で示したアルバムだ。このバンドは、声の様式をジャンルの記号として使わない。声を、感情の温度計として使う。聴き手は終盤まで疲れない。
LANDMVRKSと並ぶフランス産メタルコアの厚み
LANDMVRKSは突然出現したバンドではない。パリのノヴェリスツ(Novelists)、リヨンのオークマン(Oakman)、テン56(Ten56)など、現行のフランス産メタルコアにはここ数年でゆっくり厚みが増している。各バンドが鳴らす音は均質ではない。ノヴェリスツはプログレッシヴ寄りで、テン56はマスコア解体的なリズム感を持ち、LANDMVRKSはメロディと攻撃性が地続きで溶けている。共通項は「メタルコアという既製の枠を、内側から少しずつ違う方向へ押し広げている」点にある。
このシーンが急に強くなった理由には、フランス語圏の音楽教育インフラと、ヘルフェスト(Hellfest)という年に一度の巨大な実演現場の存在が効いている。ヘルフェストは2025年6月19〜22日にクリッソンで開催され、フランスのメタルコア勢が国際的なバンドと同じステージに並ぶ機会を作り続けている。ローカルバンドが等身大で世界水準のバンドと演奏する場が物理的にあること——この事実は音にはっきり出る。
“They are hands down one of the best live bands in metalcore, doesn’t matter if it is a small venue or open air.”
ライブバンドとしては文句なしにメタルコア最高峰の一つ。小さなハコだろうと野外だろうと関係ない。
— Reddit / r/Metalcore
なぜ欧州が現代メタルコアを牽引するのか
米国産メタルコアは2000年代後半に商業化のピークを迎え、フォーマットが固まった。ブリーカット、ハーフタイム、メロディックなサビという三段構成の様式が確立し、聴き手にも書き手にも「型」として共有されている。欧州勢、特にフランス・スウェーデン・ドイツのバンドは、その様式を受け取った後で、それぞれの土地の音楽の語彙——シャンソンの母音、北欧のメロディの構造、ドイツ語のリズムの硬さ——を、メタルコアの上に薄く重ねていく。
加えて、欧州のメタルコア・シーンには明確な系譜がある。アーキテクツ(Architects)やホワイル・シー・スリープスといった英国の先行勢が確立した枠組みを、後発のフランス・ドイツ勢がそれぞれの言語と土地で書き換えている。LANDMVRKSが「A Line In The Dust」でマット・ウェルシュを招いた背景には、この系譜への自覚がある。
LANDMVRKSの音には、シャンソンの「言葉の溜め」が確実に入っている。サルファティが英語で歌うときでも、母音の処理に英語ネイティヴのメタルコア・シンガーとは違う粘度がある。これは欠点ではない。地域固有の声が、ジャンルの均質化に対する天然の抵抗として鳴っている。
『The Darkest Place I’ve Ever Been』を一度通して聴くと、メタルコアという言葉が抱えていた「型の予測しやすさ」が半分以上溶けている感覚に届く。残りの半分は、バンド自身がまだどう扱うかを探っている途中にも聞こえる。次の一手は、誰にも予測できない。それでいい。

