針を落として最初のリフが鳴った瞬間、これは今までのメタリカ(METALLICA)ではない、と体が気づく。速さで殴ってきたバンドが、急に遅く、太く、低く構えている。『Black Album』の録音現場では、その音を巡ってバンドと一人のプロデューサーが8ヶ月ぶつかり合っていた。
8ヶ月は「遅さ」と「太さ」を作るのにかかった
録音が始まったのは1990年10月、場所はロサンゼルスのOne on One Recording Studiosだった。終わったのは翌1991年6月で、途中バンクーバーのスタジオでも一週間ほど作業している。完成までに三度のフル・リミックスを重ね、費用は100万ドルを超えた。スラッシュ四天王の一角が、たった12曲にこれだけの時間を注いだことになる。
長引いた理由ははっきりしている。プロデューサーのボブ・ロック(Bob Rock)が、それまでのメタリカの録り方を捨てさせたからだ。前作『…And Justice for All』までは、各パートを別々に積み上げる方式だった。フレミング・ラスムッセン(Flemming Rasmussen)が手がけた時代の音は、硬くて細い。ベースはほとんど聞こえてこない。ロックはその逆を要求した。四人を同じ部屋に入れ、せーので弾かせた。
シングル「Enter Sandman」は、ロックと録音エンジニアが四人を一室に押し込んで録ったと本人が証言している。バンドが一斉に演奏したまま音を録るのは、これが初めてだった。ベースのジェイソン・ニューステッド(Jason Newsted)は、ギターをなぞるだけの弾き方をしていた。ロックはそれを直し、ベーシストとして弾かせた。クリックに合わせて別々に録っていたら、こうはならなかった——ロックはそう振り返っている。
なぜ、よりによってボブ・ロックだったのか
メタリカがロックを欲しがった理由は単純で、彼の作る音が太かったからだ。モトリー・クルー(Mötley Crüe)の『Dr. Feelgood』、ザ・カルト(The Cult)の『Sonic Temple』——どちらも分厚く、前に張り出してくる音だった。バンドはその重量を欲しがった。最初はミックスだけ頼むつもりが、結局プロデュース全体を預けることになる。
ここに最初のねじれがある。スラッシュで身を立てたバンドが、ハードロックを磨き上げる男に音作りを託した。彼らはロックの音は欲しかったが、ロックのやり方は欲しくなかった。速さを捨てて重さを取りにいく決断と、その重さを誰に作らせるかという問題が、最初から食い違っていた。
「Sad But True」で、その食い違いが一度ほどけた瞬間がある。ロックはギターをEからDへ、丸ごと一音下げることを提案した。モトリー・クルーで使った手だった。バンドは「Eが一番低い音じゃないのか」と返したという。下げてみて、あのリフは初めて巨大になった。
「これはとんでもなくいい。売れようが売れまいがどうでもいい、ただ最高にクールだ」——テープでそのリフを聴いたボブ・ロックは、そう口にしたと語っている。
『Black Album』の録音現場で起きていたこと
当時の現場は、二部構成のドキュメンタリー『A Year and a Half in the Life of Metallica』にそのまま残っている。きれいに整えられた制作記ではない。プロデューサーとバンドが言い合う場面が、編集で削られずに入っている。「The Unforgiven」のギターソロを巡って、カーク・ハメット(Kirk Hammett)とロックがやり合う一幕は、今も語り草だ。
ロックはジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield)に、もっと踏み込んだ歌詞を書けと迫った。「Nothing Else Matters」は、ヘットフィールドがツアー中に家を恋しがって自分のために書いた曲で、本人はメタリカで出す気がなかった。私的すぎるし、柔らかすぎる、と。ラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich)がそれを聴いて拾い上げ、マイケル・ケイメン(Michael Kamen)のオーケストラ編曲まで付いた。出したくなかった曲が、アルバムを代表する一曲になっている。
衝突がいちばん深かったのはウルリッヒとロックの間で、発売後しばらく二人は口をきかなかったという。録音中はウルリッヒの私生活も荒れていた。現場の空気は、誰かの後日談ではなく、フィルムに映ったバンドとロックの顔がいちばん正確に伝えている。
「二度と組まない」と言ったはずだった
あれだけ揉めて、バンドはロックとは二度とやらないと口にした。実際にはその後十数年、『Load』『Reload』、そして『St. Anger』まで彼と作り続ける。ニューステッドが2001年に去ったあと、『St. Anger』のベースはロック自身が弾いた。関係が切れたのは、ファンの署名運動も背中を押して別のプロデューサーへ移った時だ。
共同マネージャーのピーター・メンシュ(Peter Mensch)は、この録音をこう振り返っている。ロックは「ほぼ完全に崩壊しかけたメタリカを、看病して立て直した」。世界で五本の指に入るプロデューサーだ、と。
メタリカは、自分たちのやり方を壊す相手をわざわざ雇った。雇った時点でそれを望んでいたのか、後から気づいたのかは分からない。


