「クリフが生きていたら、『Black Album』は生まれなかった」。メタリカ(Metallica)の歴史を語る場では、この仮定が信仰のように繰り返されてきた。だが私は、そこで足が止まる。1986年9月27日にスウェーデンの路上でバンドが失ったものを、作風とか良心とか、そういう大きな言葉で片づけたくない。クリフ・バートン(Cliff Burton)は低音の設計を握っていた。どこまで低く、どんな声で鳴らすかを決める耳が、あの朝に消えた。
「魂を失った」という通説は、どこで雑になるのか
通説はこうだ。クリフの死でメタリカは芸術の芯を抜かれ、やがて売れる音へ舵を切った——。事故の2年後に出た『…And Justice for All』を通して聴くと、この筋書きは前半で崩れる。9分級の曲が並び、拍子は折り重なり、リフは容赦なく増築されていく。野心の枯れた人間たちが出せる音ではない。
クリフが書いた素材は、彼の死後の盤でも鳴っている。「To Live Is to Die」は、彼が『Master of Puppets』の制作時に残したリフから組み上げられた曲だ。ジェイムズ・ヘットフィールドが読み上げる詩も、クリフが書き残したもの(古いドイツの賛美歌詩人の言葉を下敷きにしている)。死から2年たっても、新譜のなかで彼の音楽は更新されていた。
では、あの朝に何が消えたのか。設計図は残った。音の底が抜けた。
クリフ・バートンの低音は、曲の主役だった
「For Whom the Bell Tolls」の頭で鳴る、ざらついた上昇音。あれをギターだと思って何年も聴いていた人は多い。実際に鳴らしているのはベースで、モーリーのワウとファズを通した歪みが低音を前へ押し出している。伴奏の発想からは出てこない音だ。
デビュー作『Kill ‘Em All』には「(Anesthesia) – Pulling Teeth」というベース独奏曲が入っている。1983年のスラッシュメタルの現場で、ベースが一人で弾き倒す時間をアルバムに確保する感覚。『Master of Puppets』の「Orion」では、中間部で低音が旋律を引き受け、ギターが後ろへ下がる。日本では「ベースのジミ・ヘンドリックス」と呼ばれた男だ。
低音の使い道は、クリフの耳が決めていた。「ベースは土台なんだから引っ込んでいろ」という前提が、このバンドには最初から無い。だから彼が抜けた穴は、ベーシストの席が空いたという事態に収まらなかった。
低音が聞こえなくなった5年間
事故の翌月、メタリカは50人を超えるオーディションの末にジェイソン・ニューステッド(Jason Newsted)を迎えた。弾き手の席は埋まった。低音は戻らなかった。
『…And Justice for All』のミックスを担当したスティーヴ・トンプソン(Steve Thompson)は、後年のインタビューで、ベースを「かろうじて聞こえる程度まで」下げるよう求められ、そこからさらに下げろと指示されたと語っている。Justice のベースは、弾かれているのに音として存在を主張しない。ニューステッドは録った。彼の低音を守る耳が、コンソールの前に残っていなかった。
「Blackened」の冒頭では、ギターが低い帯域まで自分で塗り潰していく。中域を削ってハイとローを持ち上げた歪みが、ベースの居場所を先に埋めてしまうため、低音は鳴っていても輪郭を持てない。消えたのは音量ではなく、低音を誰の判断で鳴らすかという担当だ。あの薄さは、バンドが自分たちの底の作り方を決められなくなった記録になっている。
外の耳を雇って、低音は戻ってきた
1991年、バンドはプロデューサーのボブ・ロック(Bob Rock)を呼んだ。彼が引っかかった場所は、はっきりしている。
“I knew of Metallica, obviously, but they weren’t a band I was in awe of. I didn’t understand the sonics of …And Justice For All, because when I saw them live they were a heavy, weighty band and that record just doesn’t sound that way.”
「メタリカは当然知っていたが、崇拝していたわけじゃない。『…And Justice for All』の音づくりだけは理解できなかった。ライブで観た彼らは重くて量感のあるバンドなのに、あのレコードはまるでそう鳴っていないんだ」
— ボブ・ロック(Louder インタビュー)
ロックはニューステッドのベースをドラムと組ませ、ギターの複製をやめさせた。アンプとベースをひと通り試した末、アンペグの SVT とプレシジョンベースという、いちばん普通の組み合わせに行き着いたと本人が振り返っている。『Black Album』の録音に8ヶ月かかった話は以前に書いたが、あの長さの一部は、失われた低音を外から取り戻すために使われた時間だった。
『Black Album』の重さを商業主義の証拠として挙げる声は、いまも多い。私は逆に聴く。あれはクリフが空けた穴を、外から来た耳で塞いだ音だ。「Sad but True」でズシリと沈む低音は、Justice で行方不明になっていた帯域の帰り道になっている。
クリフのリフから生まれた「To Live Is to Die」を、バンドは2011年12月7日のサンフランシスコで一度だけ演奏している。30周年の夜、それを押し通したのは、いまバンドで低音を弾いているロバート・トゥルージロだった。
事故現場に近い E4 号線ぞいには、20年後の2006年に記念碑の石が置かれた。ピック、花、缶。世界中から人が来て、何かを置いて帰っていく。2022年には、そばのバス停の名前まで「クリフ・バートンの記念碑」に変わった。低音を主役にした男の名前が、いまもスウェーデンの道端で標識になっている。

