メタルのアルバムジャケットを作った男たち——IRON MAIDENのエディからMEGADETHのヴィクまで

アルバムジャケット メタル ── メタルのアルバムジャケットを作った男たち——IRON MAIDENのエディからMEGADETHのヴィクまで 雑学・コラム
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レコード棚に並んだアルバムの中で、まだ音が鳴っていないのに一枚だけが目を引く。先に飛び込んでくるのは絵のほうだ。腐りかけた顔でこちらを睨む男、「売り出し中」の看板を掲げる骸骨、炎に包まれた4人組——音を聴く前から、そのアルバムジャケットがメタルというジャンルの記号になっている。描いたのは、名前を表に出さないまま視覚言語を作り上げた男たちだった。

エディ、ヴィク・ラトルヘッド、『Destroyer』の戦士——この視覚的アイコンを生んだ画家たちが、メタルというジャンルの記号を作り上げた。ジャケットは、音そのものと同じだけのメッセージを抱えている。

デレク・リッグスとエディ——IRON MAIDENのアルバムジャケットを作った男

アルバムジャケット——薄暗いアトリエで巨大なキャンバスに向かう画家の手

「電気マシューよ、こんにちは」——偶然の誕生

デレク・リッグスは独学で絵を学んだ画家で、イングランドのポーツマスの出身だ。そんな彼がアイアン・メイデン(Iron Maiden)と出会って生まれたエディは、もとをたどれば偶然の産物だった。

最初はパンクのジャケット用に描いた一枚で、タイトルも別物だった。「Electric Matthew Says Hello」——その時点では、ぼろぼろの顔をした人物画にすぎなかった。

1979年、アイアン・メイデンのマネージャーだったロッド・スモールウッドが動く。EMIのアート部門の壁に貼られていたリッグスの絵に目を留め、ポートフォリオを見せろと言った。画家が引きずってきた大きな木の画帳の中に、あの一枚があった。注文はひとつ、髪を足すこと。パンクの匂いを消したかったからだ。そうしてエディが生まれ、1980年のデビュー作『Iron Maiden』のジャケットを飾った。

80年代、エディは変容し続けた

バンドはリッグスと独占契約を結ぶ。他のミュージシャンの仕事を受けることを禁じる契約で、以後の彼はメイデン一組だけを描き続けることになる。

1981年の『Killers』ではエディが殺人者になり、翌1982年の『The Number of the Beast』では悪魔の傀儡師になる。1983年の『Piece of Mind』では精神病棟に拘束され、1984年の『Powerslave』では古代エジプトのファラオとして君臨した。

同じ顔のまま、毎作まったく違う物語を背負わせた。この時点でエディはただのマスコットではなく、一作ごとに完結する物語世界の住人になっていた。

リッグスはアクリルと速乾性の油性絵具で描いていた。絵具は毒で、重金属に過敏な体がそれを受けつけなくなる。のちに彼は仕事をまるごとデジタルへ移した。

独占の時代は続かない。1992年の『Fear of the Dark』は、リッグスの絵が使われなかった最初のスタジオ盤になった。20枚を超えるラフを出しては却下され、しびれを切らした彼が他を当たってくれと言い残して電話を切っている。月を睨む樹木のようなエディを描いたのは、メルヴィン・グラント(Melvyn Grant)だった。

やがてメイデン側は残っていた権利を買い取り、リッグスは他のバンドのジャケットも手がけるようになる。それでもエディの象徴性は揺るがず、2021年、リッグスはメタル・ホール・オブ・フェームに殿堂入りした。エディの創造者として正式に名を刻まれたことになる。

エド・レプカとヴィク・ラトルヘッド——スラッシュメタルのアルバムジャケットを定義した男

メタル アルバムジャケット——闇に沈む無数のレコードジャケットの壁

失われたヴィクと『Peace Sells』

海を渡ったアメリカのスラッシュシーンにも、同じ役割を担った画家がいた。エド・レプカだ。パーソンズ・スクール・オブ・デザインを優秀な成績で出た男が、幼い頃からモンスターやホラーコミックを描き続けていた。

骸骨のヴィク・ラトルヘッドを最初に描いたのはレプカではない。デイヴ・ムステインが自分でラフを起こし、友人に絵を仕上げさせている。その絵をレーベルが紛失した。1985年のデビュー作のジャケットに載ったのは、玩具屋で買ったプラスチックの髑髏を撮った写真だった。

レプカがメガデス(Megadeth)と組んだ最初の仕事が、1986年の2ndアルバム『Peace Sells… but Who’s Buying?』だ。ヴィクがジャケットの上にきちんと立ったのは、この一枚が最初になる。スーツを着た不動産屋のヴィクが、半壊した国連本部ビルの前で「For Sale」の看板を掲げている。赤い空に戦闘機が飛び、ポールにはちぎれた各国の旗が残る。平和は売り物だ——タイトルの皮肉を、絵が一枚で言い切っている。

デスメタルの幕開けも描いた

レプカの仕事はメガデスにとどまらない。デス(Death)の初期3枚——1987年の『Scream Bloody Gore』、1988年の『Leprosy』、1990年の『Spiritual Healing』——も、すべて彼の手によるものだ。デスメタルというジャンルの視覚像は、この3枚から広がっていった。

ニュークリア・アサルト(Nuclear Assault)のデビュー作『Game Over』も、ポゼスト(Possessed)の『Beyond the Gates』も彼の絵だ。核の廃墟や腐乱した死体を生々しい筆致で描き、その絵はスラッシュとデスの共通語になっていく。のちに「スラッシュメタルアートの王」と呼ばれた当人が、好きなのはパンクだと語っている。肩書きと本人の趣味は、ここでも噛み合っていない。

ケン・ケリーとフレッツェタの系譜——KISSとRAINBOWを叙事詩にした男

フランク・フレッツェタに学んだファンタジー画家

ファンタジー絵画の世界にはケン・ケリーがいた。フランク・フレッツェタ(Frank Frazetta)の妻エリーの甥にあたり、若い頃からアトリエに出入りしてその油彩を間近で見ている。手取り足取り教わったわけではない。デッサンと絵、そこに解剖学を重ねろ——助言はそれだけだったと本人が振り返っている。

2010年に82歳で世を去ったフレッツェタの絵は多くの後続を動かしたが、ケリーはその最も近くにいた一人だった。

キッス(Kiss)が最初に声をかけた相手は、フレッツェタ本人だった。金額が折り合わず、話は流れる。フレッツェタ風に描ける人間を探した先にケリーがいた。ドラマーのピーター・クリスが、ホラー雑誌の表紙で彼の絵を見ていたからだ。

最初に上げた絵は突き返されている。

“They thought it was too violent. It was 1975, and they didn’t want to launch such a large project with such a negative cover. I thought my career was over.”

「暴力的すぎると思われたんだ。1975年のことだよ。あれだけ大きなプロジェクトを、あんな後ろ向きな絵で始めたくなかったんだろう。おれのキャリアはもう終わったと思った」

— ケン・ケリー(PRINT Magazine「Kiss and Tell: Artist Ken Kelly」)

描き直した一枚が、1976年の『Destroyer』のジャケットになる。炎と破壊の中に仁王立ちする4人——バンドを神話の戦士として描いたこの絵が、キッスの商業的な頂点を視覚の側から決定づけた。翌年の『Love Gun』もケリーが担当している。

RAINBOW「Rising」と長年のMANOWARコラボ

同じ1976年、ケリーはもう一枚の名作を生んでいる。レインボー(Rainbow)の2ndアルバム『Rising』だ。海から突き上がった巨大な拳が虹をつかみ、背後には城と黒雲が広がる。客席が拳を突き上げる光景を絵にしたい——リッチー・ブラックモアの発案だったという。のちにマノウォー(Manowar)とも組み、6枚のアルバムで長いコラボが続いた。

ケリーは2022年6月に世を去った。享年は76だった。それでも『Destroyer』や『Rising』の絵は色褪せず、いまもメタル史の奥に深く刻まれている。

ジャケットが記号になるとき——メタルの視覚言語が持つ力

アルバムジャケット メタル——大きなLPの四角が小さな光の四角へ縮んでいく

3人の画家に共通するのは、ただ「注文を受けて描いた」のではないという一点だ。リッグスのエディは40年以上もメイデンの象徴であり続け、レプカが描いたヴィクはメガデスの公式マスコットとしていまもTシャツやグッズに刷られている。ケリーの『Destroyer』は、キッス全盛期の象徴として語り継がれている。

彼らが作ったのはジャケットという一枚絵ではなく、バンドの「視覚言語」そのものだった。音楽を言葉なしで語る記号を、絵筆一本で生み出していた。

レコードが主流だった時代、LPの大きな紙面が絵の力をそのまま伝えていた。CDになって判型が縮み、ストリーミングの時代にはジャケットはいっそう小さな四角になっていったが、「エディ」を一目見ただけで、頭の中で音楽が鳴り始める。その体験だけは、いまも縮んでいない。

その絵はただの装飾ではなかったからだ。画家たちはバンドの世界観を視覚へ翻訳し、聴き手が音に触れる前の「最初の接触点」を作った。ジャケットが聴く前の期待値を決め、その期待が鳴った音と重なったとき、体験は記憶に変わる。だからこそ、その力はいまも生きている。

デレク・リッグス、エド・レプカ、ケン・ケリー——3人が作ったメタルの視覚言語は、バンドの寿命を超えて生き続けている。

リッグスが最初にエディを描いたとき、それはパンクのジャケットになるはずの一枚だった。行き先がアイアン・メイデンに変わったことで、その絵はヘヴィメタルの歴史へ深く沈み込んでいった。絵の運命というのも、音そのものに負けないくらい面白い。

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