「ヘヴィメタル」というジャンル名は、誰が作ったのか。最初にそう呼んだのは、バンドでも評論家でもなかった。文学から、バイクから、批評の現場から——この名前は思いがけない順路をたどって、いまの場所へ着いている。
1961年、文学の中に現れた言葉
ウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)は、アメリカのビート文学を代表する作家だ。
1961年に発表した小説に、ひとりのキャラクターが出てくる。その名は「ザ・ヘヴィ・メタル・キッド(The Heavy Metal Kid)」。小説の題は『ザ・ソフト・マシーン(The Soft Machine)』だ。
バロウズはこの言葉を音楽とはまるで無関係に使った。薬物依存の世界観をあらわす比喩として「ヘヴィメタル」を選んでいる。ジャンル名の出発点は、音楽ではなく一冊の小説の中にあった。
「ヘヴィメタル」は化学用語でもあった
「ヘヴィメタル(重金属)」は、化学にも生きている言葉だ。比重の大きい金属元素——鉛・水銀・カドミウムなど——を指す用語である。メンデレーエフの周期表に並ぶ、あの「重金属」だ。
バロウズが文学と化学のどちらに引かれたのかは諸説あって、いまも決着がついていない。はっきりしているのは、この言葉を最初に作品へ持ち込んだのが彼だったという一点だ。
1968年、バイクの歌に紛れ込んだ言葉
1968年1月、ステッペンウルフ(Steppenwolf)の新曲がリリースされる。曲の名は「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド(Born to Be Wild)」。その歌詞に、あの一節がまぎれ込んでいた。
「ヘヴィ・メタル・サンダー(heavy metal thunder)」
この詞を書いたのはマース・ボンファイア(Mars Bonfire)だが、彼の頭にあったのは音楽ジャンルではなく、まったくバイクの話だった。
カリフォルニアの砂漠を切り裂くバイクの轟音——その手触りを言葉へ置き換えようとして、彼は「ヘヴィメタル」を引っぱり出した。高校の化学でこの語を覚えていたからだ。音楽ジャンルにする気など、これっぽっちもなかった。
曲は一気にヒットする。「ヘヴィ・メタル・サンダー」というフレーズは、自由と反骨の匂いをまとって世界中の耳へ届いた。バロウズの小説に潜んでいた四音節が、ここでようやく走るバイクの音そのものと重なった。
1970年、評論家が「ジャンル名」に変えた
この言葉を音楽批評の現場へ引き入れたのが、アメリカの音楽評論家レスター・バングス(Lester Bangs)だ。
1970年2月、ローリング・ストーン誌(Rolling Stone)に一本のレビューが載る。グエス・フー(Guess Who)を論じた記事で、その中でバングスは「ヘヴィ・メタルのロボットたち」と書いた。
これが、音楽スタイルとしての「ヘヴィメタル」の最初の使用例とされている。
バングスはクリーム誌(Creem)でも同じ言葉を手放さず、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)を論じた原稿にも、ブラック・サバス(Black Sabbath)を扱った記事にも、この語を打ち込み続けた。
悪口が称号になるまで
皮肉なことに、この呼び名は最初、ほめ言葉として置かれたものではなかった。「重たくて機械じみた音楽」——そういう揶揄の匂いをまとっていた。
だが、10年と経たないうちに、その言葉はファンが胸を張って名乗る看板へと変わっていく。送り手が込めた意味を、言葉のほうが軽々と追い越していった。
70年代後半、言葉が自分の場所を見つけた
バングスが書きはじめた1970年代初頭、「ヘヴィメタル」の輪郭はまだぼやけていた。それが10年と経たずに、見る見る形を取りはじめる。
効いたのは、1970年代後半のイギリスで噴き出した音楽運動だ。「ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)」と呼ばれるこの波が、アイアン・メイデン(Iron Maiden)やジューダス・プリースト(Judas Priest)を表舞台へ押し上げた。
バンド自身が「名乗る」ようになった
評論家が外から貼ったラベルを、バンドのほうから進んで引き受けるようになる。言葉の所有権が、書き手の側から、鳴らす側へ移っていった。
ファンの側も足並みをそろえた。投げつけられた悪罵を、彼らはわざわざ誇りとして拾い上げる。こうして「ヘヴィメタル」は市民権を得て、いまに続くジャンル名としてしっかり腰を据えた。
文学のページから生まれ、砂漠を行くバイクの轟音に乗って広まり、最初は悪口として投げられた。その四音節を、いまでは数えきれないほどの人間が胸を張って名乗っている。メタルのためにあつらえられた言葉じゃない。それでも、この名前ほどこの音が似合う器を、私は他に知らない。


