あの夜の話は、たいてい一行で片づく。バンドの花火が天井に燃え移った——それで終わり。だがこの一行でナイトクラブ火災の教訓を受け取ったつもりになると、100人が死んだ理由の大半が落ちてしまう。火をつけたのは確かに花火だった。その火を1分足らずで会場全体へ広げ、人を殺す濃さの煙を吐いたのは、壁と天井に貼られた防音フォームのほうだ。
90秒で会場が死んだ
2003年2月20日、木曜の夜だった。ロードアイランド州ウェスト・ウォリックにある小さなクラブに、462人が入っていた。消防の認可定員は404人である。
グレイト・ホワイト(Great White)がステージに上がり、定番のオープナー「Desert Moon」を鳴らしはじめる。同時にツアーマネージャーが、ドラムの奥まった一角に仕込んでおいた4本の筒へ点火した。火花を4.6メートル吹き上げて15秒で燃え尽きる、それだけの仕掛けだ。両端の2本は45度に傾き、真ん中の2本は真上を向いていた。
火花は一角の両脇と天井の中央に触れた。そこに貼ってあったものが、想定にない速さで燃えた。
アメリカ国立標準技術研究所(NIST)が事故後に再現した進行はこうなる。着火から1分で、室内の可燃物が一斉に発火するフラッシュオーバーに達する。90秒後には、黒い煙の層が床から30センチのところまで下りていた。100秒たたないうちに正面の出入口が人で詰まり、5分を待たずに炎が屋根を破って外へ出る。
火事から逃げる時間として、90秒はあまりに短い。
この90秒には映像が残っている。3日前にシカゴのクラブで21人が圧死する事故が起きたばかりで、地元テレビ局のカメラマンが「ナイトクラブの安全」を取材するためにこの日この会場へ来ていた。火が上がる前から回っていたカメラに、フォームが燃え上がる様子と、正面ドアへ向かう人の流れがそのまま入っている。
ナイトクラブ火災の火を広げた防音フォームは、どこから来たのか
フォームが貼られたのは2000年、オーナー兄弟がこのクラブを買った年になる。動機は音響でも装飾でもない。近隣から届いていた騒音の苦情だった。
同じ年の5月12日、地元の警察署長がオーナーの一人へメモを出している。騒音の問題を解決しなければ、クラブの興行許可は下ろさない——そういう通告だ。ライブハウスにとっては営業停止の予告に等しい。
近所に住む男が解決策を持ちかけた。彼はフォームメーカーの営業をしていて、防音材としてポリウレタンを勧めている。6月27日、オーナーは厚さ2.5インチ——およそ6センチ——のチャコール色のシートを25枚買った。梱包用に流通している、難燃処理のない安価なフォームだ。
難燃タイプとの違いは、燃える速さと煙の濃さに出る。処理のないポリウレタンは短時間で燃え上がり、一酸化炭素とシアン化水素を含む濃い煙を吐く。安いほうを選んだ差額は、いったい何の差額だったのか。
音を外へ漏らさないための処置が、いちばん燃えやすい材料で行われている。「うるさい」と言われたライブハウスが打った手そのものが、3年足らずのちに会場を殺す側へ回った。
86人の死因の欄に書かれていたこと
州の検死官が2003年に大陪審で述べた内容は、2007年になって公開されている。98人分の検死結果が並んでいた。
主因を「燃焼生成物と、超高温で酸素の欠けた空気の吸入」とされたのが86人。全員に重度の熱傷が寄与因子として付いている。熱傷そのものを主因とされた人は4人だった。
20人の遺体からは、シアン化水素を吸ったことを示す高い濃度のシアンが検出されている。ポリウレタンが燃えるときに出るガスだ。その大半は、ステージとダンスフロアの近くで見つかっている。
炎に焼かれて死んだ人は4人。残りの大半は、燃えた材料が吐いたガスと熱い空気を吸って死んでいる。着火源と、人を殺したものは別である。
人は、入ってきたドアへ戻る
このクラブには出口が4か所あった。NISTの報告によれば、観客の3分の2が、そのうち正面の1か所へ向かっている。
理由は単純で、そこが全員の入ってきた道だった。暗がりと煙の中で、人の身体は知っている道を選ぶ。ステージ脇の扉も厨房を抜ける通路も、その夜そこにいた人の大半は一度も使ったことがない。使ったことのない扉は、非常時には無いのと変わらない。
100秒たたないうちに正面の出入口は詰まった。先頭の何十人かが抜けたあと、狭い通路で人が折り重なる。出口の処理能力が犠牲者の数に直接効いた、というのがNISTの結論だった。
非常口は、あるだけでは機能しない。使う人がそこから出られると知っていて、はじめて出口である。この90秒のあと、ロードアイランド州は開演前に出口の場所を客へ告げることを義務づけた。
その夜、最初に鳴っていた曲と、裁かれた一人
「Desert Moon」は1991年のアルバム『Hooked』の9曲目で、全米メインストリーム・ロック・チャートの16位まで上がった。グレイト・ホワイトはこの曲をライブの1曲目に据え続けていた。ブルースを土台にした粘りのあるハードロックを鳴らすバンドで、1989年にはカヴァー曲「Once Bitten, Twice Shy」が全米5位まで届き、翌年のグラミーでベスト・ハードロック・パフォーマンス部門にノミネートされている。
2003年の彼らは、定員404人のクラブを回っていた。ステージと客席のあいだが数メートルしかない場所で、4本の筒に火をつけた。
ギタリストのタイ・ロングリー(Ty Longley)は、亡くなった100人のうちの一人になった。
火をつけたツアーマネージャーのダニエル・ビーチェレ(Daniel Biechele)は、州の免許も地元消防の許可も取っていなかった。2006年に100件の過失致死の罪を認め、懲役15年のうち4年の実刑を言い渡されている。2008年に出所した。仮釈放に賛成した遺族がいた。
法廷で彼が述べた言葉が残っている。
“I don’t know that I’ll ever forgive myself for what happened that night, so I can’t expect anyone else to.”
あの夜に起きたことを、自分で許せる日が来るとは思えない。だから、ほかの誰かに許してくれとも言えない。
— ダニエル・ビーチェレ 法廷陳述(Pollstar・2006年5月10日)
クラブのオーナー二人は不抗争の答弁を選んだ。一人はビーチェレと同じ4年の実刑、もう一人は執行猶予付きの10年と社会奉仕500時間を科された。ステージに火をつけた人間と、壁にフォームを貼らせた人間の量刑が、同じ法廷で並んだ。
フロントマンのジャック・ラッセルは生き延びた。2024年7月にレビー小体型認知症と多系統萎縮症を公表し、翌月に63歳で亡くなっている。
いま、ライブハウスに残っているもの
ロードアイランド州は2003年のうちに消防法を書き換えた。定員150人を超えるクラブにスプリンクラーを義務づけ、最大級の会場を除いて屋内の花火演出を禁じ、古い建物を旧基準のまま使わせる適用除外を廃止している。州の消防法はいま、全米でもっとも厳しい部類に入る。
条文の細部にまで、この火災が直接効いている。誘導表示は床に近い高さにも付ける——煙の下を這って進む人の目の高さに合わせるためだ。州の消防局には、立入を拒まれた建物へ令状を取って入る権限と、違反に過料を科す権限が与えられた。
民事は65の被告から総額1億7,600万ドルの和解で終わった。フォームを売った会社も、公演を宣伝したラジオ局も、州も町も含まれている。火をつけた人間の周りにいた全員が、それぞれの位置で払った。
2017年5月21日、跡地に100人を悼む公園が開いた。
以前、ラムシュタイン(Rammstein)のステージを「楽器」として読んだことがある。火炎放射器も鋼鉄の塔もあの音の一部だという見方は、いまも変えていない。あの記事の肝心なところは、火の派手さが安全コンセプトと当局の許可と会場ごとの下見という手続きの上にしか成立しない、という一点だった。2003年2月20日の夜は、その手続きを欠いたときに何が起きるかを裏側から照らす。
火を扱うこと自体は、いまも禁じられていない。扱える条件のほうが、あの夜を境に書き直された。
開演前に流れる出口の案内は、退屈な数十秒だ。あの文面を書かせたのが2003年2月20日で、そこに並んでいる言葉は、誰かが逃げられなかった順路をなぞって決められている。

