1985年のPMRC公聴会で、メタルは何に負けたのか

PMRC公聴会 ── 1985年のPMRC公聴会で、メタルは何に負けたのか メタル事件簿
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あの日の映像は、いまも「メタルが勝った日」として再生され続けている。1985年9月19日、アメリカ連邦上院の商業科学運輸委員会。革のベストに逆立てた金髪の男が証言席に座り、マイクの高さを直した。トゥイステッド・シスター(Twisted Sister)のディー・スナイダーだ。彼を呼びつけたPMRC公聴会は、その日のうちに主導権を手放した。勝敗の記録としては、それで合っている。だが議場で勝ったはずのメタルは、そのあと十年をかけて店の棚から静かに締め出されていく。私の目はそこで止まる。

1985年のPMRC公聴会で、ミュージシャン側は議場の論戦に勝った。だが規制は法律としてではなく、警告ステッカーを嫌う小売店の棚を通って実現していく。そのステッカーは現在、ストリーミングの「E」タグとして生き残っている。

PMRC公聴会が求めたのは、禁止ではなく格付けだった

PMRC——Parents Music Resource Center は1985年、ワシントンの有力者の妻たちが立ち上げた団体で、共同設立者のひとりが当時の上院議員アル・ゴアの妻、ティッパー・ゴアだった。彼女たちがレコード業界に突きつけた要求は、曲を発売禁止にしろというものではない。映画のレーティングを模した格付け制度の導入だった。

性的な表現には X、オカルトには O、酒とドラッグには D/A、暴力には V。歌詞はジャケットに印刷させ、露骨なアートワークの盤は店のカウンターの奥へ引っ込めさせる。ステージで過激な振る舞いをするアーティストとは契約を見直せ——要求はそこまで踏み込んでいた。音を消せとは誰も言っていない。音に等級を貼り、置き場所を動かせと言っている。

業界の返答は、公聴会より先に出ていた。その年の8月、19のレコード会社が「Parental Guidance: Explicit Lyrics」という一枚のラベルで手を打つと表明している。9月の議場に、まっさらな議論は持ち込まれていない。

PMRC公聴会——夜のアメリカ連邦議事堂
Photo by Heidi Kaden on Unsplash

証言に呼ばれた3人のうち、最も鋭い言葉を放ったのはフランク・ザッパだった。PMRCの提案を、子どもに何の利益ももたらさず、子どもでない人々の市民的自由を侵し、この先何年も法廷を忙しくさせるだけの出来の悪いナンセンスだ、と切って捨てている。ジョン・デンバーは、禁じられたものほど欲しくなり、隠されたものほど面白くなる、と述べた。カントリーの穏やかな歌い手が、金髪を逆立てた男の隣で同じ側に立った日だ。

「Under the Blade」——歌の意味は、誰が決めるのか

スナイダーの証言が効いた理由は、憲法論ではない。彼は、自分の書いた一曲の意味を取り返しに来ていた。

喉の手術の歌を、拘束具の歌として読まれた

PMRC側は、トゥイステッド・シスターの「Under the Blade」の歌詞にサドマゾヒズム、拘束、強姦の奨励を読み取ったと主張していた。曲の出所はまるで違う。1978年、バンドがデモを録りはじめた頃、ギタリストのエディ・オヘダが喉の手術を前にして怯えていた。台の上で身動きが取れず、顔に照明が当たり、刃が降りてくる。スナイダーが書いたのは、その手術への恐怖だった。

証言席で彼は言った。この曲を書いた本人として断言する、ここにサドマゾヒズムも拘束も強姦もない、あるとすればゴア夫人の頭の中だけだ——と。告発された歌詞の意味は、告発する側が持ち込んだものだった。

その日のスナイダーは30歳。既婚で3歳の息子がいて、酒を飲まず、煙草も吸わず、薬物もやらない。生まれ育ちはクリスチャンで、いまもその原則を守っている。冒頭でそう名乗ってから、彼は歌詞の話に入っていく。委員たちが想像していた「堕落した若者を煽る男」は、そこにはいなかった。

『Under the Blade』は1982年のデビュー作で、プロデュースはUFOのベーシスト、ピート・ウェイが手がけている。音は驚くほど素っ気ない。装飾のないリフがザラついた歪みで押し出され、スナイダーの喉がその上を割って出る。のちのMTVヒットで知られる派手さは、まだどこにもない。手術台の恐怖を歌う声としては、これ以上ないくらい適した硬さだ。

🎵 公聴会で槍玉に挙がった表題曲を収録した1982年のデビュー作。飾りのない乾いた歪みと、ピート・ウェイの手による荒いが聴きどころ。
『Under The Blade』: Amazon

「We’re Not Gonna Take It」に暴力はあったか

PMRCが公表した告発リストが「Filthy Fifteen」で、トゥイステッド・シスターの「We’re Not Gonna Take It」は暴力の項目に入れられた。曲は1984年の『Stay Hungry』収録、当時MTVで最も回っていたシングルのひとつだ。実際のミュージックビデオは、ロードランナーとワイリー・コヨーテのドタバタを人間が演じたコメディで、スナイダーは証言でもそう説明している。歌詞のどこにも、煽られる暴力は見当たらない。

🎬 告発された当の映像。窓から吹き飛ばされる父親も、床にめり込む場面も、漫画の物理法則で動いている。

合意は議場の外で結ばれ、規制はレジを通ってきた

11月1日、RIAA と全米PTA、PMRC は一種類の汎用ラベルで合意する。X も O も V も付かない。1990年の夏に白黒の標準デザインが定まり、1996年に文言が「Parental Advisory: Explicit Content」へ変わった。この間、歌詞を規制する法律は一行も生まれていない。

法ではなく、流通の側が効いた。全米に店舗を持つウォルマートは、警告ステッカーの貼られた盤を棚に置かないという方針を取り続けている。露骨とみなされたアートワークや曲名も同じ扱いになる。アーティストに残る選択肢は二つに絞られた。歌詞やジャケットを削った「クリーン盤」を作るか、その棚から消えるか。

PMRC公聴会——レコード店の棚に並べられた盤
Photo by Mick Haupt on Unsplash

分かりやすい例がニルヴァーナ(Nirvanaの『In Utero』だ。1994年3月にウォルマートとKマート向けに出た盤では、「Rape Me」の曲名表記が意味のない造語「Waif Me」へ差し替えられ、裏ジャケットの胎児のコラージュも修正された。カート・コバーンは、メジャーと契約した理由のひとつは自分たちのレコードがKマートで買えるようにするためだった、と説明している。棚に載らない盤は、その町では存在しないのと同じになる。

ステッカーが売りにも働いたことは、当時から言われていた。アイス-T(Ice-T)は1989年の「Freedom of Speech」で、レコードに貼られたステッカーこそがゴールドを売らせるのだ、と歌っている。両方が同時に起きていた。話題になった盤はより売れ、棚に載らなかった盤は最初から数のうちに入らない。スナイダー自身、四十年近く経ってからこの構図を名指ししている。

“That’s not informing parents; that is keeping art from the general public.”

「あれは親に情報を与える行為じゃない。芸術を一般の人々から遠ざける行為だ」

— ディー・スナイダー(ポッドキャスト『Hardcore Humanism With Dr. Mike』/BLABBERMOUTH.NET 報)

法の土俵では、メタルはその後も負けていない。レコードを逆回しにすると自殺の指令が聞こえるという訴えは、1990年のネバダで棄却されている(バックマスキング論争の顛末はこちらに書いた)。裁判所は表現の側に立ち続けた。その勝訴の一つひとつが、棚の一枚も取り返してはくれない。

ステッカーはメタデータになった

黒白の小さな四角は、CDの棚とともに視界から消えつつある。フラグ自体は消えていない。Spotify や Apple Music で曲名の横に灰色の「E」が付くのを、私たちは毎日のように見ている。あの警告の直系の子孫だ。物理的な紙のステッカーがメタデータの1ビットになり、親向けのフィルタや子ども用モードで自動的に処理される。

1985年に決まったのは、歌詞の是非ではなかった。音楽へ警告の印を付ける権利を、誰が持つのか。ティッパー・ゴアたちが手に入れたのは法律ではなく、その印を貼るための仕組みで、四十年かけて仕組みだけが生き延びた。スナイダーが証言席で示したのは、書いた本人が意味を言い直せば告発は崩れるという事実で、それは今も有効だ。印を貼る側が、まだ人間の耳を経由していれば。

PMRC公聴会が本当に決めたのは、歌詞の是非ではなく「音楽に警告の印を付ける権利を誰が持つか」だった。その印は今、配信のメタデータとして音楽の入口に立っている。

証言の映像は40年分の再生回数を集めた。その隣で、告発された当の曲はいまも同じ硬さで鳴っている。ゴア夫人が拘束具の歌だと信じた一曲が、手術台の照明に怯える人間の歌として耳に入ってくる瞬間——公聴会の記録が生々しくなるのは、証言を読んだときではなく、その音が鳴り終わったときだ。

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