2005年10月21日のことだ。ヘルシンキのハートウォール・アリーナでナイトウィッシュ(Nightwish)のワールドツアー最終公演が幕を閉じた直後、ボーカルのターヤ・トゥルネン(Tarja Turunen)は楽屋で一通の封書を受け取った。差し出したのはバンドの中心人物でキーボード奏者のトゥオマス・ホロパイネン(Tuomas Holopainen)だった。中身は彼女への解雇通告で、同じ文面がその夜のうちにバンド公式サイトで全世界へ向けて公開された。翌朝、フィンランドの居間は一斉に同じ話題を抱えていた——10年の歌い手が、自分の解雇を世界と同じタイミングで読んだ夜だ。
楽屋に置かれた封書
『End of an Era』として映像化されている、その夜のステージそのものを先に書く。アルバム『Once』を引っ提げたワールドツアーの終着点、フィンランド代表級のシンフォニック・メタル・バンドが地元へ戻ってきた夜だ。ターヤは最後まで歌い切っている。セットを締めくくったところで、キーボードのトゥオマスが頭を抱え込むカットが映像に残っている——あの数秒の沈黙が、楽屋で起きようとしていたことの先触れに見える。
公演を終えた直後、ターヤは楽屋で封書を渡された。書簡はその手渡しと同じタイミングでバンド公式サイトに掲示されている。当事者本人が、自分の解雇を世界と同時に知る、という極めて稀な告知の形がここで成立した。
その意味を、フィンランド全土が翌日からの数日で反芻することになる。
解雇書簡は何を告発したか
書簡の冒頭で、ホロパイネンはこう書いている——「私たちはあらゆることを受け入れてきたが、強欲・ファンの軽視・約束の破棄だけは飲み込めなかった」。サウンドチェックへの遅刻、メンバーとの距離、ソロ活動への傾斜、そして「変化」の元凶として、夫でありマネージャーでもあるマルセロ・カブリ(Marcelo Cabuli)の影響が名指しで挙げられた。
書簡の発信元はあくまでバンド側だ。パートナーを職業上の問題として解雇文書で名指しするのは告知文として極端なやり方で、書き手側の混乱と怒りの度合いがそのまま文体に滲み出ている。家庭の問題を公衆の前へ持ち出す不器用さとして、その文面はフィンランド国内のリスナーに届いている。
この書簡を書いた本人は、のちに別のインタビューでこう漏らしている。
“It was the most difficult thing I ever had to do.”
これまで自分がやらなければならなかったことの中で、いちばん難しい決断だった。
— トゥオマス・ホロパイネン(Orkus 誌 2005年のインタビュー)
ターヤが返した手紙、首相が口を開いた
その数日後、ターヤは自身のサイトで返信書簡を公開する。冒頭で「離婚」という比喩を用い、「自分はあの手紙に描かれた人物ではない」と書いた。書簡を受け取ったのち、彼女はフィンランドを離れ、夫のいるアルゼンチンへ渡っている。沈黙の数日と、海を一つ越えた距離の中で書かれた文章だ。
“While there would have been so many different possibilities and ways to express what they wanted to tell me with the letter, I remain unable to understand the way they chose to handle this.”
言いたいことを伝える方法は他にいくらでもあったはずなのに、彼らがなぜあのやり方を選んだのか、私にはどうしても理解できない。
— ターヤ・トゥルネン公開書簡(2005年)
記者会見ではマイクの列を前に涙声で語った。彼女の側からの説明は具体的だった。ツアーバスに充満する煙草と酒に体力的に耐えられず別便で移動していたこと、楽屋を一人で使っていたのは派手な振る舞いの拒絶ではなく休息の必要だったこと、ソロの予定はバンドの活動を侵していなかったこと——書簡で「ディーヴァ」として描写された行動の一つひとつに、生活者としての別解が示された。
事態は文化欄には収まらなかった。フィンランドの首相マッティ・ヴァンハネン(Matti Vanhanen)までもがコメントを求められて口を開いている。ナイトウィッシュはフィンランドにとって国家規模の音楽事象であり、解散か離婚か、その境目に立った一件は社会の話題として転がっていった。
声を二度入れ替え、バンドは作り直された
後任の人選で、バンドはターヤの「再現」を目指さなかった。2007年5月、スウェーデン出身のアネット・オルゾン(Anette Olzon)が正式にフロントへ立つ。彼女が歌ったスタジオ録音は『Dark Passion Play』(2007)と『Imaginaerum』(2011)の2枚で、その声はターヤの朗々としたメゾソプラノとは別系統の、ポップロック寄りの透明感を持っていた。ターヤの不在を埋めることをそもそも目指さない方針が、2作品の録音音色からははっきり読み取れる。
その方針も、2012年の秋に再び見直されることになる。9月末のデンバー公演でアネットが体調を崩してステージに立てず、その数日後の10月1日、バンドは彼女との契約終了を発表した。残りのツアーには、オランダ出身のフロール・ヤンセン(Floor Jansen、ex-After Forever / ReVamp)が即座に代役で合流する。ツアーの残り日程を歌い切ったフロールは、翌2013年10月に正式メンバーへ昇格した。長年セッションでバンドを支えてきたユーリアン・パイプス奏者トロイ・ドノックリー(Troy Donockley)も同時に加入し、バンドは初めて六人編成になった。声の入れ替えだけでなく、伴奏側の音色の幅まで広げる編成変更だった。
あの夜の決断は、その後のナイトウィッシュの音そのものを更新し続ける長い動因として、バンドの歩みに残った。
20年が経った今でも、当時を整理しようとすると「誰が正しかったか」の手前で詰まる。書簡を読んで首相が口を開き、家庭がテレビに釘付けになり、ファンが涙の記者会見に立ち会った——そのスケールの記憶こそが、ナイトウィッシュとターヤ・トゥルネンの2005年を凡庸なスキャンダルから引き離している。

