1999年春、エドガイ(Edguy)の『Theater of Salvation』ツアー中、トビアス・サメット(Tobias Sammet)はもう10年近く沈黙していたマイケル・キスク(Michael Kiske)の声を頭の中で鳴らしていた。ハロウィン(Helloween)を離れたあのテノールを、自分の書いた曲でメタルの真ん中に呼び戻したい。実現の道はなかったから、自分で道を作ることにした。アヴァンタジア(AVANTASIA)の最初の構想はそこから生まれている。当時は二枚で完結する企画として設計されたものが、2025年の今は10枚目を抱え、本職だったはずのエドガイを長期休止させたまま続いている。ゲスト・ボーカルを毎作入れ替える方式が、いつしか「企画モノ」の枠を完全に超えていた。
1999年——AVANTASIAは「二枚で終わる」つもりだった
当初のアヴァンタジアは明確に有限の企画として設計されている。エドガイの『Theater of Salvation』ツアー中にサメットが固めた構想は、スタジオ録音だけで完結する二部作だった。ライブの想定はない。バンドとして残す意図もない。彼が書いた長尺の楽曲群を、メタル史を背負う複数のボーカリストに分担して歌わせる「一発勝負」だけが目的の催しだった。
1作目『The Metal Opera』が2001年、続編『The Metal Opera Part II』が2002年にリリースされている。集まった顔ぶれは、サメットがどれだけ自分の妄想に正直だったかをそのまま映していた。マイケル・キスクが10年ぶりにメタルのフォーマットへ戻ってきている。ボブ・キャトレイ(Bob Catley)がマグナム(Magnum)の厳粛なヴァイブを持ち込んだ。当時のストラトヴァリウス(Stratovarius)にいたティモ・トルキ(Timo Tolkki)、インペリテリ(Impellitteri)のロブ・ロック(Rob Rock)の声もそこに同居している。サメットが書いた曲の骨格は本人が歌うのに足る強度を持っていたが、各曲の核心部だけを「他の人格」に渡す構造を、彼はこの二枚物で初めて発見していた。
2002年の時点でアヴァンタジアはまだ「企画モノ」のままで、完了したら解散しサメットはエドガイの作業に戻る——そう本人も周囲も信じて疑わなかった。
AVANTASIAのゲスト・ボーカル方式が「正体」に変わる瞬間
2作目の発表から4年経った2006年、サメットは復活を宣言する。2008年の『The Scarecrow』が3作目として届いたとき、アヴァンタジアは初期二部作の延長線上にいなかった。アリス・クーパー(Alice Cooper)がシアトリカルな悪役のトーンを連れてきた。ヨルン・ランデ(Jørn Lande)の重い北欧ハードロックの声がアルバムを縦に貫き、表題曲「The Scarecrow」では物語の主人公を背負って歌う。スコーピオンズ(Scorpions)のルドルフ・シェンカー(Rudolf Schenker)が刻む厳格なリフがバックに置かれている。サメットは初期路線の「再現」を捨て、アヴァンタジアを別の方向へ拡張する選択をしたのだ。
2010年、アヴァンタジアは初めてのツアーへ出る。スタジオ録音だけで完結するはずだった企画が、舞台に上がった。複数のゲスト・ボーカルを連れて回るオペラ・スタイルのライブが、企画の枠を結果として踏み越えていく。ここでアヴァンタジアは初めて「ライブで成立する音楽体」だと自分自身に証明したことになる。
方式そのものが正体になる、というのはこの段階のことを指す。バンドは固定メンバーで定義されるが、アヴァンタジアは「毎作異なる声が来る」という設計図だけが固定されていた。誰が来るかは毎回変わる。だが「誰かが来る」という構造は変わらない。そこに恒常性があった。
『Here Be Dragons』が見せる10枚目の現在地
2025年2月28日、AVANTASIAは10作目『Here Be Dragons』をリリースした(ナパーム・レコーズ/Napalm Records)。サメットがサシャ・パエト(Sascha Paeth)と共同プロデュース・録音し、パエトがミックスを手掛けている。表ジャケットはイギリスのファンタジー画家ロドニー・マシューズ(Rodney Matthews)に依頼された。アルバム冒頭の「Creepshow」は彼らのカタログでも屈指のキャッチーなオープナーで、表題曲「Here Be Dragons」は9分近い長尺へ及ぶ。初期二部作からのプログレッシヴな尺の取り方が、10作目でも生きている。
2025年3月から、AVANTASIAはアリーナ規模のワールド・ツアーへ出ている。1999年に「ライブ想定なし」で構想されたものが、26年後にアリーナを埋めているわけだ。突然そうなったわけではない。毎作の構造が積み重なって、長い時間をかけて起きた結果だった。サメットは『Moonglow』(2019年)と『A Paranormal Evening with the Moonflower Society』(2022年)でも、現役の声を呼び込み続けていた。クイーンズライク(Queensrÿche)のジェフ・テイト(Geoff Tate)、プリティ・メイズ(Pretty Maids)のロニー・アトキンス(Ronnie Atkins)、ブラインド・ガーディアン(Blind Guardian)のハンジ・キアシュ(Hansi Kürsch)、ミスター・ビッグ(Mr. Big)のエリック・マーティン(Eric Martin)まで、世代も出自もばらばらの声がサメットの曲の中で違和感なく並んでいる。曲側に「他の人格を受け入れる余白」が最初から仕込まれているからだ。
エドガイを置いてここに残った意味
サメットがインタビューで何度か口にしている。アヴァンタジアなら2ヶ月でアルバムを書ける。エドガイだと同じ時間で1曲目のキーすら決まらない。本職のはずだったバンドが動かないのは、メンバーの作風や仕事観がそれぞれ別の方向を向き、合意形成にエネルギーの大半が消えてしまうからだ。彼が選んだのは、合意の要らない構造のほうだった。
AVANTASIAでは作曲・プロデュース・最終的な責任が一人に集約される。ゲスト・ボーカルは「客演」の立場で参加するから、招待のかたちで成立する。合意の手続きが要らない。その招待を毎作別の人に向けるから、サウンドは固定化しない。サメットが10枚目まで走り続けられた構造的な理由はここにある。「企画モノ」と呼ばれた構造そのものが、結果的に最も長続きする形を持っていた。
1999年の時点では誰にもこうなると分からなかった。サメット本人にも分からなかったはずだ。二枚で終わるはずだった企画が、本職を休ませてまで続く本流に裏返るには、ライブで成立する証明(2010年)と、現役の声を呼び続けられる名簿の更新(『Moonglow』以降)が要った。そのどちらも、「方式」を捨てずに守り抜いた結果として手に入ったものだ。
サメットの机の上には、いまも次のアヴァンタジアの楽曲が並んでいるはずだ。エドガイの作業が止まっている10年、彼はずっとこの「企画モノ」に向かって書き続けてきた。次に呼ぶ声が誰かは、私には分かっていない。だが構造が変わらない以上、彼がいずれ「ありえない組み合わせ」を新たに並べてみせる日が来るだろう。10枚目の次に何が起きるかは、その瞬間にならないと音にならない。


