音は最初のリフで地面を取りに来る。「Roots Bloody Roots」の引きずるような重低音は、1996年のメタルが鳴らした音の中でいまも別格にきこえる。ギターは沈み込む。太鼓は地面の上で踏み返す。声は喉の奥から削れて出てくる。民族音楽がメタルに本気で交わった最初の盤——セパルトゥラ(SEPULTURA)『Roots』を、もう一度頭から流してみる。
「Roots Bloody Roots」が鳴り出した秒
イントロのギターはB♭まで沈んでいる。標準Eからは完全四度+半音下——トライトーンに近い深さである。アンドレアス・キッセル(Andreas Kisser)は太い弦——1弦.013、6弦.056——でこの低音を保ち、ピッキングのアタックを潰さない。だから音は「ぐにゃっ」と崩れず、踏みつぶす速度のまま走ってくれる。
そこへイゴール・カヴァレラ(Igor Cavalera)のドラムが入ってくる。シンバルを減らし、タムとフロアタムを前に押し出した打ち方だ。カルリーニョス・ブラウン(Carlinhos Brown)が編成した手打ち打楽器が同じ空間で同時に鳴っているから、ドラムキットそのものが部族の輪に混じった音に聞こえてくる。
マックス・カヴァレラ(Max Cavalera)の声は、ここで初めて「叫ぶ」より「呻く」方へ寄った。怒りはトレモロの速度ではなく、腹から押し出される圧で出てくる。歌詞は短く、繰り返しが多く、呪文に近い反復に落ち着いていく。
シャヴァンテ族との録音——民族音楽をメタルに混ぜる作法
表題曲と並んで核を担うのが「Itsari」だ。シャヴァンテ語で「ルーツ」を意味するこの曲は、1995年11月5日、ブラジル・マットグロッソ州のアルデイア・ピメンテル・バルボーザで録音された。バンドはスタジオに引きずり込まず、自分たちがジャングルへ入っていった。曲に乗るのは「Datsi Wawere」と呼ばれる治癒の儀式歌で、シャヴァンテ族の人々が自分たちで歌った声がそのまま残されている。
ここがこの盤の作法の核心になる。サンプリングで切り貼りせず、現地で並んで鳴らしている。だからメタル側がエキゾ要素を載せた構図にならない。シャヴァンテ族の歌の重心がそのまま残り、ギターと打楽器はその上に巻きついていく。観光ではなく共演だ。
カルリーニョス・ブラウンの仕事もこの線で効く。彼はアルバム全体の打楽器パートを編成・指揮し、ポルトガル語で歌う「Ratamahatta」ではマックスとボーカルを分け合っている。セパルトゥラとして自国の言語で歌った最初の曲がここで生まれた。
ロス・ロビンソンの録音と、コーンとの相互影響
録音はマリブのインディゴ・ランチで1995年10月から約2か月。プロデューサーのロス・ロビンソンは、同時期にコーンのデビュー作と続く2作目を手がけている。低音を太く取り、ボーカルの息と唾の質感まで残す——皮膚の下まで拾う録音は、この人の手癖が出る部分でもある。
影響の流れは一方通行ではない。コーンの極端なダウンチューニングはセパルトゥラに刺さり、セパルトゥラの前作『Chaos A.D.』はコーン側が崇拝していた——ジョナサン・デイヴィス(Jonathan Davis)当人がのちに「『Roots』はうちの露骨なリップオフに聞こえた」と振り返るほど、二者は近い距離で押し合いをしていたのである。デイヴィスがマイク・パットン(Mike Patton)、DJレザル(DJ Lethal)と並んで「Lookaway」にゲスト参加したのも、その距離感の表明として読める。
マックス・カヴァレラの最後の一枚という事実
『Roots』はマックス・カヴァレラがセパルトゥラに残した最後のアルバムでもある。1996年8月、英ドニントンの「Monsters of Rock」出演直前に、マックスの義理の息子ダナ・ウェルズが交通事故で他界した。マックスは会場を離れ、残った三人はアンドレアスがボーカルを取って公演を完遂している。
同年12月16日、ロンドンのブリクストン・アカデミーでの公演がマックスにとっての最後のステージとなる。マネジメントを巡る対立——マックスの妻にしてダナの母グロリア・ブニョウスキーの解任要求——が引き金になり、悲しみの最中にいたマックスは脱退する。1年後、彼はソウルフライ(Soulfly)を結成し、『Roots』で踏み込んだ民族音楽×メタルの線をいっそう深めていく。
30年後に効く『Roots』の輸入経路
この盤の影響は、リフの再生産よりも構造の浸透として出ている。スリップノット(Slipknot)の打楽器多重編成、ビールの缶や鉄板まで叩いて鳴らす態度は、『Roots』の打楽器の流儀とまっすぐ繋がっている。マックスのソウルフライ、イゴールがのちに参加したカヴァレラ・コンスピラシーの仕事——どれも『Roots』の延長線上で民族音楽との接触を続けてきた。
『Roots』が拡げた線は、メタルが自国・自地域の音楽を対等な共演相手として扱える選択肢を可視化したことにある。ブラジルから始まったその選択肢を、北欧・中東・東南アジアのバンドがそれぞれの「Itsari」として実装していった。リッチな部族のドキュメンタリーで終わらず、メタル本体の構造に食い込んだ音として残っている。
30年経った『Roots』を再生してみるといい。メタルが自分たちの足元と取っ組み合うときの作法を、この一枚がいちばん早く・いちばん率直に書き残している。重い音を拾って通り過ぎず、「Itsari」のある場所まで歩いてみる価値は、いま聴いてもそのまま残っているのである。


