速弾きで名を上げた4人が、一番やわらかい一曲で全米の頂点に立った。1992年2月29日、ビルボードのシングルチャートで1位を獲ったのは、ハードロック・バンドのアコースティック・バラード「To Be With You」だった。その曲を収めたミスター・ビッグ(Mr. Big)の2作目『Lean Into It』は、超絶技巧とポップスの王道が一枚のなかで両立した、不思議な手触りの名盤である。
速さで鳴らした連中が、バラードで世界を獲った
「To Be With You」は、もともとシングルを狙って作られた曲ではなかった。アルバムのなかの一曲として置かれていたものが、ラジオで流れはじめ、リスナーの反応が先に動いた。レコード会社があとからシングルを切る。曲のほうが人を連れてきた順番だった。
チャートの記録は派手だ。全米シングルチャートで3週連続の1位。オーストラリア、カナダ、ドイツ、ニュージーランドでも首位に立っている。アルバム本体もビルボード200で15位まで上がり、本国だけでプラチナ・ディスクを売っている。アコースティック・ギターと重ねたコーラスだけで成立する曲が、これだけの距離を走った。
面白いのは、この曲が一番「ミスター・ビッグらしくない」入口になっていることだ。速弾きも、ベースの暴れも、ここにはほとんど無い。あるのは四声で積み上がるハーモニーと、エリック・マーティン(Eric Martin)の喉の太さ。技巧のバンドが、技巧を引っ込めた場所で一番遠くまで届いている。
『Lean Into It』の音が、今も古びない理由
このアルバムの演奏陣は、当時すでに名前で知られた腕利きの集まりだった。ギターはポール・ギルバート(Paul Gilbert)、ベースはビリー・シーン(Billy Sheehan)。二人とも速さと正確さで界隈の頂点にいた弾き手だ。ドラムはパット・トーピー(Pat Torpey)、歌はソウル仕込みのエリック・マーティンが受け持つ。
腕が立つバンドほど、録音では弾きすぎて散らかる。『Lean Into It』はそこへ流れない。プロデューサーのケヴィン・エルソンが、技を見せる場所と引く場所をはっきり分けている。歌が立つべき曲では演奏が一歩下がり、見せ場の曲ではギターとベースが遠慮なく前へ出る。技術の量ではなく、技術の置き場所で勝っている一枚だ。
音の分離がいい。ビリー・シーンのベースは歪んでいても粒が潰れず、ポール・ギルバートの速いフレーズも団子にならず一音ずつ聴き取れる。30年以上前の録音とは思えない見通しのよさが、いまもこのアルバムを現役に留めている。リマスターを待つまでもなく、最初から音が整理されていた証拠だ。
海外のリスナーも、同じところに引っかかっている。当時の記事はスーパーグループという看板と速弾きの話ばかりを追いかけた、という声だ。
“their music really not being shred-based outside of concert solos and stunts”
彼らの音楽は、ライブのソロや余興を別にすれば、実際にはシュレッド中心じゃない。
— Reddit / r/hairmetal
看板が先に立ったせいで、歌の側が語られにくかった。この一枚は、その順序を裏返している。
ドリルが回る一曲目——Daddy, Brother, Lover, Little Boy
アルバムの幕開けは「Daddy, Brother, Lover, Little Boy (The Electric Drill Song)」。曲名のとおり、ギターソロで本物の電動ドリルが鳴る。ポール・ギルバートがドリルの先端に三角のピックを取り付け、回転の勢いで弦をはじく。冗談のような仕掛けが、本気の速さで弾かれるから笑えない。
この一発はライブの定番になり、ビリー・シーンもベースのソロを同じドリルで弾いてみせた。技巧を見世物の高さまで持っていく開き直りに、このバンドの乾いたユーモアがある。歌詞の種になったのは、熱心なファンとのあいだでビリー・シーンが経験した出来事だという。それをエリック・マーティンが書き直して、いまの言葉になった。
速い曲ばかりではない。「Green-Tinted Sixties Mind」は、ポール・ギルバートの細かいフレーズを核にしながら、口ずさめるメロディへ着地する。テクニックと歌心が別々の引き出しではなく、同じ手から出ていることがよくわかる一曲だ。速く弾けることと、いい曲を書けることは、このバンドのなかで矛盾しない。
日本で鳴り続けた音、そして The BIG Finish
本国アメリカでの大ブレイクは、この『Lean Into It』の時期が頂点だった。その後の人気は、むしろ日本やアジアで長く続いていく。ミスター・ビッグは「Big in Japan」の代表格として、本国以上に日本で愛され、武道館を満員にし続けたバンドになった。日本のリスナーが、演奏力とメロディの両方をまっすぐ評価したからだ。
ドラムのパット・トーピーは、パーキンソン病の合併症のため2018年に世を去った。残されたメンバーはニック・ディヴァージリオ(Nick D’Virgilio)を迎え、2023年に「The BIG Finish」と銘打った最後のツアーへ出る。そのツアーで彼らが毎晩通して演奏したのが、ほかでもない『Lean Into It』の全曲だった。2023年7月26日の日本武道館公演は4Kで収録され、のちにライブ作品として世に出ている。
ツアー本編は2024年8月、ルーマニアで幕を下ろした。それでも終わらせなかったのが日本で、2025年2月、大阪城ホールと日本武道館でアンコール公演が組まれる。バンドが最後の音を鳴らしたのは、その武道館のステージだった。
幕引きに選んだのが、デビュー作でも最新作でもなく、この2枚目だったこと。それがアルバムの位置をよく表している。速さも歌も笑いも一枚に詰め込みながら、どれも借り物には聞こえない。鳴らしはじめた頃の音をいま確かめたいなら、ここから入って損はしない。

