「また丸くなった」——ゴースト(Ghost)が6枚目のアルバム『Skeletá』を出した2025年4月、そんな声がすぐに広がった。だがその作品はBillboard 200に初登場1位で入り、初週だけで86,000ユニットを動かしている。うち77,000枚は純粋なアルバム販売だ。
批評筋の反応も鈍くなかった。Metal Hammerは2025年のアルバム・オブ・ザ・イヤーに本作を選び、批評サイトMetacriticのスコアは78に届いている。「ポップすぎる」という不満が消えたわけではない。それでもチャートと批評を同時に制した事実は残る。この矛盾を聴かずに放っておくのはもったいない。
新体制で挑んだ6枚目の世界観
ゴーストはスウェーデン出身のロックバンドだ。サタニックな様式美とポップな旋律を掛け合わせる独自のサウンドで、広く知られてきた。フロントマンは「パパ」と呼ばれる匿名のキャラクターで、作品ごとに衣装と設定が変わる。本作でその役を引き受けたのが、パパ V ペルペトゥア(Papa V Perpetua)だ。
前作『Impera』(2022年)はグラムロックやアリーナポップへ踏み込んだ作品だった。今作『Skeletá』が軸に据えるのは、よりオーガニックなアレンジだ。室内楽的な質感も随所に顔を出し、歌詞は孤独・喪失・執着という内省的なテーマへ沈んでいく。「ポップ化」という言葉だけでは片付けられない複雑さがある。
聴き直すべき5曲
① Satanized——リードシングルが示す新体制の「核」
2025年3月5日に先行リリースされたリードシングルだ。ミッドテンポのロックンロール・ストンパー、という評が近い。ストレートなエネルギーを押し出しながら、サビの旋律には独特の粘りがある。新フロントマンの存在感を、いちばん端的に伝えてくる1曲でもある。
ミュージックビデオを監督したのはアミール・シャムディン(Amir Chamdin)、主演はスウェーデン人俳優のデヴィッド・デンシック(David Dencik)だ。不穏さと滑稽さが同じ画面に共存する、Ghostらしい美学が貫かれている。「サタン化する」というタイトルどおり、歌詞には皮肉と逆説が編み込まれていて、社会的・個人的な「変容」を問う深みがある。単なるショックコンテンツとは、ここではっきり一線を画している。
② Lachryma——ドゥームとAORの奇妙な共存
4月11日に公開された2枚目のシングルだ。「ラクリマ(涙)」というラテン語のタイトルが示すとおり、重さと美しさが一曲のなかで同居する。評論家たちはこれを「ドゥームを引きずるリフに、輝かしいAORのサウンドが重なる」と評した。
重苦しいギターリフが地を這う。そのコーラスで、突然視界が開けるような明るさが差し込んでくる。この対比こそがGhostの巧みさの核心だ。パパ V ペルペトゥアのボーカルは、ここで特に説得力を増す。新フロントマンとしての実力が、いちばん見えやすい場面でもある。
③ De Profundis Borealis——静寂から始まる深淵
ピアノの静かなイントロから始まる曲だ。そのまま進むうち、ヘビーなリフがゆっくり押し寄せてくる。アルバムのなかで最も「Ghostらしくない」と感じさせる瞬間を、この曲は抱え込んでいる。ボーカルは低めのレジスターで歌われ、暗く沈んだ手触りを残す。
テーマは「解決されない感情が凍りつく」こと——自分自身が組み上げた精神的な牢獄である。タイトルをラテン語で直訳すると「北の深みから」になり、スウェーデンという出自とも重なる詩的な多層構造を持つ。詩が凝っていても、リフの重さは本物だ。「ポップ」とは対極にある、最も聴き手を試す1曲かもしれない。
④ Cenotaph——不在の人への祝祭的な讃歌
「ケノタフ(Cenotaph)」とは、遺骨のない慰霊碑を指す。もうそこにいない誰かの存在を祝うという、矛盾した感情をそのまま扱った楽曲だ。
楽曲自体は、本作で最もエネルギッシュなロッカーの一つだ。その明るさと歌詞のテーマとのギャップが、独特の緊張感を生む。祝祭的なサウンドの裏側に、拭えない喪失感が潜んでいる。Ghostが最も得意とする「糖衣に包んだ苦味」の典型例だ。ヘビーさを求めるリスナーほど表面的な明るさに反応しやすいのに、その明るさが逆説的にテーマの重さを際立たせている。
⑤ Missilia Amori——キッス直系の爆発力
アルバムのピークとも言えるトラックだ。「愛のミサイル(Missiles of Love)」が憎しみへと姿を変える、そのアイロニーを扱っている。各所でキッス(KISS)スタイルのストンパーと評され、そのグルーヴは中毒性が高い。
一部の批評家は、これを「diabolic highlight(悪魔的なハイライト)」と表現した。聴けばそれも頷ける。シンプルな構造のなかに、Ghostならではの「おかしみと真剣さが混在する世界観」が凝縮されている。メタルというより、ロック全体の文脈で捉えたときに、この曲の完成度はいっそう鮮明に見えてくる。
「ポップ化」という批判を超えて
ゴーストの音楽は、いつも「メタルか、そうでないか」という問いを突きつけてくる。その問いを立てること自体が、すでにバンドの狙いに乗せられている気もするのだが。
『Skeletá』が万人向けの入り口を広げた作品なのは確かだ。その入り口の奥で、「喪失」「孤独」「執着」という重いテーマを10曲かけて掘り下げてもいる。チャート1位を獲り、批評家に評価され、それでいてファンの間で議論を巻き起こす——そんなアルバムは、そう多くない。賛否そのものが、作品の強度を映している。
間口が広いことと中身が薄いことは、本来まったく別の話だ。入り口がポップでも、その奥で語られるものまで軽いとは限らない。『Skeletá』は聴きやすい旋律の内側に重い感情を畳み込み、そうすることでより多くの耳へその重さを届けようとしている。「丸くなった」という第一印象は、作品の半分しか説明できていない。残りの半分は、繰り返し聴いて初めて輪郭を現す。
「ポップ化」の是非は、前作『Impera』と並べて聴き直したときに、ようやく自分のなかで像を結ぶ。


