針が溝に触れた瞬間、部屋の空気が一段重くなる。「Immortal Rites」の不穏なイントロが闇からせり上がり、ドラムが地面を掘り返しにくる。1989年に世へ出たAltars of Madnessは、モービッド・エンジェル(MORBID ANGEL)が放ったデビュー作だ。この一枚を境に、デスメタルがどこまで速く、どこまで精密になれるかの物差しが書き換わった。極端に速いだけの音は、それ以前にも確かに存在していた。ここで鳴っているのは、速度を手綱で御して別の場所へ運ぶ精度のほうだ。
針を落とした瞬間に鳴る音
まず耳を持っていかれるのは、ピート・サンドヴァル(Pete Sandoval)のドラムだ。バスドラの二連打にスネアを一発挟むブラストビートが、休符をほとんど許さずに突進してくる。彼はエルサルバドルの生まれで、前身バンドのテロライザー(Terrorizer)ではワンバスでブラストを刻んでいた。モービッド・エンジェルに入ってからツーバスを鍛え直したという経歴が、この異様な推進力の出どころを説明している。叩いているのは機械ではない。粒の揃いと正確さを人力で詰め込んだ、生身の手数だ。
ギターはトレイ・アザトース(Trey Azagthoth)とリチャード・ブルーネル(Richard Brunelle)の二本だ。アザトースのソロは、調性の壁を無視してねじ登る。スケールを順になぞる速弾きではなく、半音でぶつかり合う音をわざと選び、不協和をそのまま轟音の中へ放り込んでくる。「Chapel of Ghouls」の中盤、リフが一度ほどけてソロが噴き上がる箇所で、その異物感がいちばん鋭く効く。耳が「これは弾き間違いでは?」と一瞬立ち止まり、すぐにその崩れごと持っていかれる。
デイヴィッド・ヴィンセント(David Vincent)の声は、咆哮の底に言葉の輪郭をかすかに残す。絶叫は完全には潰れていない。子音が聴き取れるぎりぎりの密度で歪んでいる。冒涜的な歌詞の世界が、意味の手前で気配だけ伝わってくるのはそのためだ。ベースも彼の担当で、低音は飾りに回らず、リフの芯として前へ出る。
1988年12月、タンパの三週間
この音がどこで形になったのかを知ると、聴こえ方が少し変わる。録音は1988年12月、フロリダ州タンパのモリサウンド・スタジオ(Morrisound Recording)でおこなわれた。三週間ほどで録り、混ぜ、仕上げている。卓を握ったエンジニアは、トム・モリス(Tom Morris)が務めた。
当時のスタジオの定石は、ロックやポップに最適化されたバスドラの音作りだった。サンドヴァルのブラストは、その定石に通すとアタックが埋もれて潰れてしまう。モリスはキックをコンプとゲートで締め上げ、一打ごとの輪郭を救い出した。この処理がなければ、あの高速の連打は飽和した轟音の塊で終わっていたはずだ。音の分離が、速さを「聴き取れる速さ」へ翻訳している。ギターは近接マイクで乾いた質感に寄せ、余計な残響を削いだ。おかげで各パートが団子にならず、それぞれ屹立して聴こえる。
レーベルはイギリスのEarache Records。創設者ディグビー・ピアソン(Digby Pearson)がバンドのデモを気に入り、スタジオ代を出して正規の録音を組ませた。盤面のクレジットで実際のプロダクションを担ったのはバンド自身だ。出来上がった音は、独立系エクストリーム・メタルが商売として成り立つことを証明する材料になった。Earache が本国イギリスで送り出したのは1989年5月12日。アメリカのCombat Records 盤は翌1990年12月に続いた。
曲が描く地獄の見取り図
収録は全10曲だ。捨て曲という言葉が、この並びには見当たらない。幕を開ける「Immortal Rites」は、呪文めいた静かなイントロから一気にブラストへ雪崩れ込む構成で、この一曲だけでバンドの設計思想がほぼ提示される。続く「Suffocation」「Visions from the Dark Side」はテンポを上げ下げしながら、聴き手の平衡感覚を揺さぶる。
「Chapel of Ghouls」は、いまもライブの定番として鳴り続ける一曲だ。中盤でテンポを落とし、地を這うリフへ切り替わる瞬間の重さは、速さとは別種の凶暴さを持っている。「Maze of Torment」の入り組んだリフを追いかけると、速さの誇示で終わらない作りが見えてくる。リフの一つひとつが、曲の起伏としてきちんと置かれている。
歌詞は冒涜と暗黒の図像で埋まっている。日本盤につけられた邦題が「狂える聖壇」だったことを思うと、訳者がこの世界観をどう受け止めたのかまで伝わってくる。題材は終始おどろおどろしいのに、演奏のほうはどこまでも醒めて精密だ。その温度差が、このバンドの不気味さの核にある。
『Altars of Madness』がデスメタルに残したもの
この一枚が引いた線は、フロリダの一地域にとどまらなかった。入り組んだリフと冒涜的な美学は、海を越えてノルウェーのブラックメタル勢にも影を落としたと言われている。後続の無数のバンドが、ここで示された速度と精度の水準を出発点にした。デスメタルという語が指す音の像を、この作品が一段くっきりさせたことは間違いない。
その影響は、後続の作り手の証言にも残っている。オーペス(Opeth)を率いるミカエル・オーカーフェルト(Mikael Åkerfeldt)は、エクストリーム・メタルで最初に夢中になった一枚として本作を挙げた。彼が本作に惹かれたのは、速さより精妙さだった。
“Morbid Angel had that finesse that a lot of the other death-metal bands didn’t have, as far as I was concerned. I absolutely fell in love with that record.”
モービッド・エンジェルには、ほかのデスメタル・バンドの多くが持っていなかった精妙さがあった。私はあの一枚に、すっかり惚れ込んだんだ。
— ミカエル・オーカーフェルト(Opeth)/Rolling Stone
バンドのその後は、決して平坦ではない。リチャード・ブルーネルは1985年から1992年まで在籍し、本作と次作にその名を刻んだのち、2019年9月23日に55歳で世を去った。ピート・サンドヴァルはいまモービッド・エンジェルを離れ、デイヴィッド・ヴィンセントと組んだI Am Morbid名義で初期の四作を中心に鳴らしている。本体のモービッド・エンジェルは、結成以来ただ一人残るトレイ・アザトースを軸に、スティーヴ・タッカー(Steve Tucker)を擁して今も音を更新し続けている。
三十年以上が過ぎても、Altars of Madness の最初の数秒に針を落とせば、あの空気の重さは少しも薄まっていない。デスメタルがどういう音楽なのかを一枚で確かめたいなら、戻る場所はここでいい。理屈は後からついてくる。考えるより先に、音のほうが体を掴んでしまう。

