1987年、アクセプト(ACCEPT)は声を失った。ウド・ダークシュナイダー(Udo Dirkschneider)が抜け、もしくは外された——本人は解雇されたと語り、バンド側は袂を分かつ合意だったと説明する——あの低い咆哮のないアクセプトは、長らくバンドの終わりと同義だった。その沈黙を破ったのが2009年5月、マーク・トーニロ(Mark Tornillo)の加入である。2010年に出た復帰作『Blood of the Nations』のジャケットを店頭で見たとき、レジまでの数歩、私はずっと「これは本当にACCEPTなのか」と疑っていた。針を落とすまで、半信半疑だった。
1987年——声を失ったバンド
アクセプトの屋台骨は、ウルフ・ホフマン(Wolf Hoffmann)のギターとピーター・バルテス(Peter Baltes)のベース、それからウドの咆哮で組まれていた。1979年デビュー。1981年『Breaker』、1982年『Restless and Wild』、1983年『Balls to the Wall』、1985年『Metal Heart』とリリースを重ねる。ジャーマンメタルの原型はほぼここに固まっている。低くしゃがれた、性別不明とも言える独特の声がリフの上に乗ったとき、ヘヴィメタルは「歌が立つジャンル」から声が表現の主軸となる音楽へ一歩はみ出した。
1987年の離別は、当事者の説明が今も食い違う。ウドは自分のバンドから解雇されたと繰り返し語り、ホフマンは解雇ではなく双方が納得して別れたのだと述べている。バンドは方向性をアメリカ市場に寄せようとしていて、彼の咆哮はその市場には硬すぎたとされる。ウドはU.D.O. を結成し、ソロ・キャリアを開始する。残った者たちはデヴィッド・リース(David Reece)を迎え、『Eat the Heat』(1989)を出すが、これは評価が割れた1枚で、現在もアクセプト本流の流れには接続しにくい。
1992年に一度ウドが戻り、1996年の『Predator』まで3枚を残して再び離れた。2005年に短い再合流があり、それも1年で終わる。そこから2010年までの長い沈黙が、いま振り返ると一番重い空白だ。
2009年5月——ニュージャージーのスタジオで
転機の場所は、ジャーマンメタルの本拠地ではなくアメリカ東海岸だった。バルテスはニュージャージーのスタジオで息子のアルバムを手掛けていて、そこへホフマンが顔を出す。二人が旧曲を鳴らしているうちに、その場にいた誰かがトーニロの名を口にした。地元バンドT.T.クイック(T.T. Quick)で80年代から歌ってきた、当時50代半ばのシンガーである。気管支炎を抱えていたトーニロは、それでも気軽なジャムのつもりで出向き、アクセプトの旧曲を数曲歌った。オーディションだとは聞かされていない。2週間後に電話が鳴り、レコーディングとツアーの誘いが届く。2009年5月、加入が発表される。
発表への反応は、私が店頭で抱いた疑いより、ずっと激しかった。
“When we announced that I was joining the band, online just lit up and hated the idea. I was a pariah for God’s sake. We all looked at each other and were like, ‘We better make one hell of a damn record.’ So that’s what we did.”
「俺の加入が発表された途端、ネットは燃え上がって、この話を嫌った。まったく、俺は厄介者扱いだ。全員で顔を見合わせて、こう言い合った——『とんでもない一枚を作るしかない』。で、そうした」
— マーク・トーニロ(The Aquarian・2022年10月)
後年のインタビューでトーニロは、旧曲はできるだけ原盤に忠実に歌うと語っている。客はそれを受け取るに値するから、という理由だ。そのうえで、同時に自分のものにもする、と付け加える。ざらついた低音域は彼も元から持っていて、声色を寄せる作業そのものが要らなかった。労力が割かれたのはフレーズの重心をどこに置くか——アクセプトの曲をアクセプトの曲のまま歌い直す、その一点に聴こえる。
『Blood of the Nations』——14年ぶりの帰還
2010年8月、『Blood of the Nations』が出た。1996年の『Predator』以来、実に14年ぶりのスタジオ・アルバムである。プロデュースはアンディ・スニープ(Andy Sneap)——のちにジューダス・プリースト(Judas Priest)のサポート・ギタリストにも座る、現代メタルの音響設計を担うエンジニアの一人として知られる。スニープが入ったことでギターの音はかつてより輪郭が太く、低音はしっかり腰を据え、ホフマンのリフは80年代の像とは別の表情を見せ始める。
「とんでもない一枚を作るしかない」の宣言は、数字でも答えを出した。ドイツ本国のアルバムチャート初登場4位。1986年の『Russian Roulette』以来の高さで、その時点ではキャリアで2番目に高い順位だった。続く『Stalingrad』(2012)もドイツのトップ10に入り、空気が完全に変わったのは2014年の『Blind Rage』だった。ドイツ・アルバムチャート初登場1位——アクセプトが本国で初めて首位を取った。ウド在籍時にも届かなかった場所を、トーニロ加入5年目で踏むことになる。
6枚のスタジオ盤——トーニロ期ACCEPTの輪郭
トーニロ加入後のスタジオ盤は6枚を数える。『Blood of the Nations』(2010)から始まり、『Stalingrad』(2012)、『Blind Rage』(2014)、『The Rise of Chaos』(2017)、『Too Mean to Die』(2021)、『Humanoid』(2024)へと続いた。最新作『Humanoid』は2024年4月26日にNapalm Recordsから出たバンド通算17作目で、プロデュースは変わらずスニープが担っている。
6枚を通して聴くと、ウド期に置き忘れてきた要素ではなく、ウド期にはなかった顔がいくつも見えてくる。ホフマンのリフが叙情寄りにフォーカスを合わせ、トーニロのフレージングはバラード曲で抑制を効かせる。クラシック由来のメロディ・ラインを大きく前に出した曲(ホフマンが2016年7月にNuclear Blastから出したソロ盤『Headbangers Symphony』の延長線にある書法)は、ウド時代には正面に置きにくかった選択だ。後継者を迎えたというよりも、別のアクセプトを並行して動かしている感覚に近い。
50周年——再生神話の現在地
2026年、アクセプトは結成50周年を迎えた。アニバーサリー・ツアーはすでに走っていて、年の後半には欧州11か国・24公演が組まれている。記念盤の中身も4月末に明かされた。『Teutonic Titans 1976-2026』——旧曲19曲を客演つきで録り直した一枚が、9月4日にNapalm Recordsから出る。ロブ・ハルフォード(Rob Halford)、カーク・ハメット(Kirk Hammett)、トビアス・フォージ(Tobias Forge)ら、名を連ねるゲストは50組にのぼる。曲ごとに顔ぶれが替わり、現メンバーだけで演奏するのは「Hellhammer」の再録1曲だという。
ここで数字を並べ直すと、この記事の問いは形を変える。ウドの在籍は1976年から1987年、1992年から1997年、そして2005年の再合流——3期を合算しておよそ17年。トーニロは2009年5月から数えて17年目に入っている。在籍年数で、トーニロはすでにウドに並んだ。
どちらが正史か、という問いはもう成立しない。ウドはU.D.O. として自分の道を鳴らし続け、アクセプトは50年分の曲を50組の客演と録り直している。二本の流れは並んだまま、次の年へ入っていく。
あのとき、レジで疑っていた私は、半年で『Blood of the Nations』を裏返すように聴いていた。咆哮の主は変わった。バンドは続いた。それで十分だった。

