CHTHONIC——国会議員を生んだ台湾メタルの轟音

台湾メタル ── CHTHONIC——国会議員を生んだ台湾メタルの轟音 世界のメタル
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の壁の向こうから、二胡が泣く。ギターでもシンセでもない、擦弦のあの湿った高音が、北欧由来のブラックメタルの様式のど真ん中で、まったく違う土地の旋律をなぞっていく。台湾のソニック(CHTHONIC/閃靈)を初めて通しで聴いたとき、耳が最初に掴んだのはそこだった。台湾メタルという言葉が背負っているものが、この一本の弦に乗っている。

ソニック(CHTHONIC)は、台湾の歴史と原住民の記憶を轟音へ変えてきたシンフォニック・ブラックメタル・バンドだ。ヴォーカルのフレディ・リムは立法委員を二期務め、鳴らす音と背負う政治が同じ一人の中で地続きになった。音楽と政治がこれほど一体化した例は、世界でも数えるほどしかない。

二胡が乗るブラックメタル

「Takao(皇軍)」の頭で、まず二胡が一節を引く。後ろからとトレモロのギターがなだれ込んできても、その弦の旋律は飲み込まれない。北欧のブラックメタルが寒色のシンセで埋める空白を、ソニックは二胡の人肌の音で満たしてくる。冷たくないのに、ぞっとする。

二胡(にこ)は、中国で千年以上の歴史を持つ擦弦楽器だ。張られた弦はたった二本。棹に指板はなく、宙に浮いた弦を指で押さえて音程を作る。ニシキヘビの皮を張った小さな胴が共鳴箱になり、弓の毛は二本の弦のあいだに挟み込まれている。ヴァイオリンのように弦の上を滑らせるのではなく、二本の弦を内側から擦る。だから音は鼻にかかって、人の声すれすれのところで揺れる。冒頭で二胡が泣くと書いたのは、この構造そのものから来ている。

台湾メタル——闇に沈むステージの照明
Photo by Jorik Kleen on Unsplash

この弦には、もともと専任の奏者がいた。その奏者が2009年に去ったあと、ヴォーカルのフレディ・リム自身が二胡を抱えて歌うようになった。デス声の絶叫と、その同じ口から出る擦弦の哀切な旋律。叫びと泣きが一人の身体の中で入れ替わる瞬間に、このバンドの背骨がある。

「Takao」の原曲には、台湾の大御所演歌歌手の歌声も差し込まれている。重い音の層の奥から、大衆歌謡の艶っぽい節が顔を出す。違和感どころか、それが効く。聴いているこちらの足元が、いつの間にか台湾の土の上へ置き換わっているような感触がある。

🎬 高雄の港から戦地へ送られた兵士たちを歌った一曲。

🎵 二胡とが同居する、2011年の代表作。
『Takasago Army』: Amazon

台湾メタルが背負った歴史

『Takasago Army(高砂軍)』というアルバムの題は、高砂義勇隊から取られている。第二次大戦中、台湾の原住民から募られ、日本軍として南洋の戦場へ送られた兵士たちのことだ。「Takao」が歌うのは、高雄の港から戦争へ連れていかれた者たちの記憶で、自分の肌にセデック(Seediq)の印を刻みながら日本兵の軍服を着た男が、ジャケットの絵に立っている。引き裂かれた帰属が、絵の一枚で突き付けられる。

台湾メタル——霧に沈む山並み
Photo by Johnson Hung on Unsplash

歌詞の多くが北京語ではなく台湾語(ホーロー語)で歌われているのも、偶然ではない。誰の言葉で歴史を語り直すのか——その選択そのものが、このバンドの主張になっている。

1930年の霧社事件も、このバンドが正面から向き合ってきた主題だ。セデック族の頭目モーナ・ルダオが率いた、日本統治下で最後の大きな武装蜂起——山あいの小学校に集まった日本人が襲われ、報復で大勢のセデックが山ごと焼かれた。2005年のコンセプト作『Seediq Bale(賽德克巴萊)』は、一枚まるごとをこの事件とセデックの記憶に捧げている。教科書の二行が、二胡とに乗って、急に体温と血の温度を持って迫ってくる。

抗いの主題は、その後の作品にも流れ続けている。2013年の『Bú-Tik』は、権力へ牙を剥いた者たちの記憶を束ねた一枚だ。収録曲「Supreme Pain for the Tyrant(破夜斬)」を大音量で浴びると、圧政への怒りが理屈を追い越して、首から先に反応する。

🎬 『Bú-Tik』収録、破夜斬。

“The band’s careful and well-researched grasp of the historical themes and emotive concepts behind this record are integral to its overall sound and execution.”

歴史のテーマと、その奥にある感情を、このバンドは丹念に、よく調べ上げたうえで掴んでいる。それが、この一枚の音そのものと分かちがたく結びついている。

— No Clean Singing(『Takasago Army』評)

フロントマンが国会へ

フレディ・リムは、音を鳴らすのと同じ手つきで政治の側へ歩いていった人だ。アムネスティ・インターナショナル台湾の代表を数年務め、2015年には新党〈時代力量〉を結成した。デス声で人権を叫んでいた男が、制度の内側から同じことをやろうとした。

台湾メタル——夕暮れに浮かぶ山のシルエット
Photo by H&CO on Unsplash

2016年1月、リムは立法委員に当選する。学生たちが議場を占拠したヒマワリ運動のうねりが、その背中を押していた。2019年に党を離れ、翌2020年には無所属で議席を守りきった。中国の一部では公演を禁じられ、ダライ・ラマと会い、アジアのバンドとして初めて Ozzfest の舞台にも出ている。轟音と議会は、彼の中で最初から同じ一つの運動だった

いま、音はどこにあるのか

二期の任期を終えたあと、リムは2025年から駐フィンランド代表の職にある。国会の議席には、もういない。職場は変わっても、やっていることの芯は動いていないように見える。人権を叫ぶ口と、二胡を弾く手は、たぶん同じところから来ている。

バンドのほうも止まってはいない。『Battlefields of Asura』(2018)を最後にしばらく沈黙していたソニックは、2025年に新しい曲を世へ出した。二胡はまだ鳴っている。フレディの喉もまだ嗄れている。

台湾という島が自分の歴史を自分の言葉で語り直そうとするとき、その声の一つがこれほど歪んで、これほど大きいのは面白い。演説でも教科書でもなく、二胡とで届く歴史がある。ソニックを一度大音量で通したあとでは、台湾という土地の輪郭が、少し違って聞こえる。

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