グラミー10勝 vs 1勝——METALLICA対MEGADETH、43年間のメタル裁判に最終判決を下す

メタリカ メガデス ── グラミー10勝 vs 1勝——METALLICA対MEGADETH、43年間のメタル裁判に最終判決を下す メタル裁判
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2026年1月23日、メガデス(Megadeth)が最後のアルバムを世に出した。その2週間後、バンドは初の全米1位を手にする。40年を超えるキャリアで、一度も届かなかった場所だ。しかもそのアルバムのボーナストラックには、メタリカ(Metallica)の曲が入っていた。

43年に及ぶライバル対決の最終章が、静かに幕を開けた。今こそ、この「メタル裁判」に判決を下す時だ。

メタリカとメガデスの43年は、勝敗を決める物語ではない。売上でもグラミー賞でもメタリカが大きく上回る。それでも二つのバンドが同時に走ったからこそ、スラッシュメタルは広さと深さの両方を手にした。

1983年4月11日——バスに乗せられた男

メタリカ メガデス——ダークなステージ上で演奏するギタリストのシルエット
Photo by Akshar Dave on Unsplash

すべては1983年4月11日の朝、ニューヨークで起きた。二日酔いで眠っていたデイヴ・ムステイン(Dave Mustaine)は仲間に叩き起こされ、その場でメタリカを解雇された。酒と薬物、そして酔うと荒れる気性が積み重なった末の決定だ。ジェームス・ヘットフィールド(James Hetfield)との関係はすでに壊れ、ラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich)との溝も埋まらないところまで来ていた。後任のカーク・ハメット(Kirk Hammett)は、その時点ですでに呼び寄せられている。

飛行機で西海岸へ帰れると思っていた男に用意されていたのは、バスだった。ポート・オーソリティ発、ロサンゼルスまで4日間。解雇のわずか1時間後に出る便だった。

「怒り」という名の創作エネルギー

その4日間が、彼の一生を変える。ムステインの証言では、車内で手にした政治パンフレットにこんな一節があった。「The arsenal of megadeath can’t be rid no matter what the peace treaties come to」。書いたのはカリフォルニア州選出の上院議員アラン・クランストン(Alan Cranston)だ。megadeath は核戦争後の「百万人単位の死」を指す語で、どんな平和条約を結ぼうとその兵器庫は消せない、という意味になる。

ムステインはこの語を耳に残った音のまま綴り直した。a が一つ抜けた Megadeth の誕生だ。

ロサンゼルスに戻った彼は、すぐにメンバー集めを始めた。手元にはメタリカ在籍中に書いたリフが残っている。そのうちの一つが、のちにメタリカのセカンドアルバムの表題曲「ライド・ザ・ライトニング(Ride the Lightning)」の核になった。作曲クレジットには、ヘットフィールド、ウルリッヒ、クリフ・バートン(Cliff Burton)と並んでムステインの名が刻まれている。解雇された男の名は、古巣の代表曲のクレジットに43年間残り続けた。その居心地の悪さが、初期メガデスの刃を研いだ側面もある。

商業的成功という証拠書類

裁判でいちばん扱いやすい証拠は数字だ。メタリカ側の記録から見ていく。

ブラック・アルバムの規模感

1991年8月12日、メタリカは自己タイトルのアルバム——通称「ブラック・アルバム」——をリリースした。初週59万8,000枚。全米チャート(ビルボード200)で4週にわたり首位を守り、10ヶ国で1位に立った。全世界の売上は3,000万枚を超える。RIAA はアメリカ国内の実績を20×プラチナに認定した。ダイアモンド認定の2倍にあたる規模だ。

ビルボード200に居座った週数は800を超え、1991年の SoundScan 集計開始以降、アメリカで最も売れたアルバムであり続けている。メタルというジャンルの常識から、この一枚だけが完全にはみ出している。

🎬 ブラック・アルバムの先頭を飾る代表曲。1991年のリリース当初から世界中を席巻した。

カウントダウン・トゥ・エクスティンクションの反撃

メガデスも黙ってはいない。1992年7月14日に放った『Countdown to Extinction』は初週12万8,000枚を売り、ビルボード200の2位に飛び込んだ。最終的に200万枚を超えてダブルプラチナに達し、翌1993年のグラミー賞ではベスト・メタル・パフォーマンス部門にノミネートされる。この2位という順位が、2026年まで彼らの自己最高位であり続けた。

🎬 Countdown to Extinction収録の代表曲。メタルの知性と激しさを同時に体現した一曲だ。

数字の法廷では、メタリカが圧倒的に優位だ。だが、この判決にはまだ続きがある。

グラミー賞という判定

メタリカ メガデス——暗いステージで演奏するロックギタリストのシルエット
Photo by Francisco Moreno on Unsplash

賞の記録も差は大きい。メタリカの受賞は通算10回。うちベスト・メタル・パフォーマンス部門が7回で、これは同部門の最多記録だ。1990年の「One」に始まり、2024年の「72 Seasons」まで、受賞の歴史は途切れていない。

対するメガデスの受賞は1回だけだ。2017年、『Dystopia』の表題曲でようやくベスト・メタル・パフォーマンスを射止めた。ムステインは受賞の席で、12回目にしてやっと獲れたと自ら笑ってみせている。ノミネートは13回。最終候補の常連でありながら、トロフィーだけが手をすり抜けていった。

賞が測っているのは、ジャンルへの貢献度ではなくメインストリームへの到達度だ。この判定だけでは足りない。

どちらがメタルを変えたのか

本当に問うべきは数字ではなく影響力のほうだ。

メタリカが開いた扉

ブラック・アルバムはメタルをメインストリームへ運び出した。それまでメタルを聴かなかった層が、この一枚を入口にした。ラジオで流れ、スタジアムが埋まる。ジャンル全体の認知度が跳ね上がった。今スラッシュメタルを聴いている人の多くが、メタリカから入っている。

コアなファンからは「ポップすぎる」という声も根強かったが、バンドは間口を広げる道を選んだ。その選択がジャンルの延命に効いたことは、否定できない。

メガデスが守り続けたもの

メガデスは逆を向いた。テクニカルで複雑なアレンジを手放さず、ムステインのギターワークはスラッシュメタルの技術基準を押し上げ続けた。『Countdown to Extinction』で商業の側へ半歩寄せたときも、演奏の水準は落ちていない。

メタリカが「広さ」へ舵を切ったぶん、メガデスは「深さ」へ潜った。片方が新しい聴衆を呼び込み、片方がジャンルの純度を守る。二つが同時に走っていなければ、スラッシュメタルは半分の姿でしか残らなかったはずだ。

2026年、最後のアルバムが告げること

メタリカ メガデス——煙と劇的な照明の中でギタリストが演奏するステージ
Photo by Matthew Stephenson on Unsplash

メガデスの自己タイトル最終作は2026年1月23日に届いた。17枚目にして最後のスタジオアルバムだ。2月に入り、作品はビルボード200の首位に立つ。1986年からチャートに作品を送り続けて、一度も届かなかった場所だった。

問題はボーナストラックのほうだ。そこに入っていたのは、メタリカの「ライド・ザ・ライトニング」だった。解雇される前の自分が書いたリフを持つ曲を、ムステインは自分のバンドで録り直している。テンポは少し速く、キーは低い。歌い方はヘットフィールドのそれではない。

🎵 17枚目にして最後のスタジオ盤。先行公開された「Tipping Point」から終盤まで、40年分の速さと毒がそのまま残っている。
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このカバーについて、ムステインは敬意を払うためだと語っている。彼らと過ごした時間は本当に楽しかった、だから終わったときあれほど苦しんだ——そう振り返ったうえで、これは自分が円を閉じる行為なのだと説明した。ヘットフィールドとウルリッヒのことは今も好きだと認め、友情がやり直されるなら受け入れると言う。合同ツアーについてはレヴォルヴァー(Revolver)誌に、メガデスとメタリカのツアーこそ必要なのだと切り出し、「それが実現すれば、すべてが正しくなる」とまで口にした。

公開されたカバーに、海外のリスナーからはこんな声が上がった。

“I really liked it as a cover it sounds like Megadeth from the early years.”

カバーとしてすごく気に入った。まるで初期のメガデスみたいな音がする。

— Reddit

43年間、二つのバンドは互いを意識しながらスラッシュメタルを鍛えてきた。今、ムステインはその円を自分の手で閉じにかかっている。

43年後の現在地

メタリカは2023年の『72 Seasons』を掲げたM72ワールドツアーを3年かけて走り切った。99公演。最後の一夜は2026年7月5日、ロンドン・スタジアムだった。幕が下りたばかりの今も、バンドの現役ぶりは揺らいでいない。

43年前、バスに乗せられた男が作ったバンドが、43年後に全米1位を取った。そして最後のアルバムで、その男は解雇先の曲を鳴らした。憎しみではなく、敬意として。

引退の報せを受けた海外のファンからは、こんな声も上がっている。

“Wow, you hate to see it but it’s much better to see them retire gracefully instead of puppeting themselves along.”

見たくはない光景だけど、操り人形みたいに引きずり続けるより、こうして潔く終わってくれるほうがずっといい。

— Loudwire(ファンの反応まとめ)

1983年の解雇は、事件ではなく分岐だった。メタリカが外へ広げ、メガデスが内へ掘る。43年後にメガデスが古巣の曲を鳴らして初の全米1位を取ったことは、その分岐がジャンルにとって幸運だったと証明している。

審判を下せるとすれば、それは40年分の楽曲たちだけだ。

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