LOUDNESS、X JAPAN、BABYMETAL——日本メタルは3度、世界を驚かせた

日本のヘヴィメタル ── LOUDNESS、X JAPAN、BABYMETAL——日本メタルは3度、世界を驚かせた 世界のメタル
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「日本のバンドにヘヴィメタルはできない」と、そう考えていた時代があった。しかし現実は、三度にわたってその常識を壊した。

口火を切ったのはラウドネス(LOUDNESS)だ。日本のバンドが米英のメタルシーンで通用するという証明を、80年代半ばに先に置いた。その地ならしの上で90年前後に国内を席巻したのがX JAPAN(エックス・ジャパン)で、彼らは外に出る前に日本のロックの規模そのものを書き換えた。四半世紀のちに、誰も想像していなかった発想の角度から世界へ抜けたのがBABYMETAL(ベビーメタル)だ。三つのバンドは音楽もアプローチも時代もまるで異なるが、共通点がある——日本という場所を出発点に、世界の扉をノックした。その軌跡を、時代順にたどっていく。

日本のヘヴィメタルは、80年代・90年代・2010年代の三度にわたって世界の評価を書き換えてきた。米国チャートでの実績、国内での熱狂、誰も思いつかなかった組み合わせ——三つのバンドが、それぞれ別の扉をこじ開けている。

LOUDNESSが開いた扉(1981〜1986)

ラウドネス(LOUDNESS)が結成されたのは1981年だ。中心にいたのはギタリストの高崎晃(Akira Takasaki)。ドラマーの樋口宗孝(Munetaka Higuchi)とともに、ロックバンド「レイジー(Lazy)」の解散後に新しいバンドを立ち上げた。ベースには山下昌良(Masayoshi Yamashita)、ボーカルは二井原実(Minoru Niihara)が加わった。

1981年11月、デビューアルバム『The Birthday Eve』をリリース。その後着実にアルバムを重ね、1983年には初の北米とヨーロッパのツアーに出た。当時、日本のメタルバンドが海外ステージに立つことは稀だった。しかしLOUDNESSはその壁を一枚ずつ壊しながら、ツアーを重ねるたびに演奏への確信を深めていった。

ビルボードに刻まれた日本のリフ

転換点は1985年に訪れた。5thアルバム『Thunder in the East』がAtco Records(アトコ・レコーズ)からアメリカでリリースされ、日本のメタルバンドとして初めてアメリカ大手レーベルと国際契約を結んだ。Billboard 200で74位を記録し、23週間にわたってチャートに残り続けた。収録曲「Crazy Nights」がバンド最大のヒットとなり、アメリカのラジオで繰り返し流れた。翌1986年の6thアルバム『Lightning Strikes』も64位を記録——日本バンドにとって前例のない快挙だった。

なぜここまで受け入れられたのか。理由のひとつは高崎晃のギターにある。テクニカルでありながらメロディが明快で、言語の壁を超えてリフが「刺さる」。そこにマックス・ノーマン(Max Norman)のプロデュースが加わり、アメリカ市場向けの音圧と明瞭さをアルバムにもたらした。LOUDNESSは「音楽は言語を超える」を証明し、後に続く日本のバンドたちへの道標を作った。

1990年代以降もLOUDNESSは活動を続け、ラインナップは変化しながらもバンドは鳴り続けた。なお2008年、ドラマーの樋口宗孝が49歳で亡くなった。彼の貢献は、今もLOUDNESSの音楽の中に生き続けている。

日本のヘヴィメタル——ギターを演奏する人物のシルエット
Photo by Akshar Dave on Unsplash
Thunder in the East — LOUDNESS(1985)

🎵 『Thunder in the East』は日本のメタルバンドとして初めて米大手と契約し、Billboard 200で74位に食い込んだ一枚だ。テクニカルなのに明快な高崎晃のリフが言語の壁を超えて刺さる手応えを確かめてほしい。
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X JAPANが示した「日本流」ヘヴィネス(1987〜1997)

LOUDNESSが扉を開いた時代、国内では別の革命が進んでいた。X JAPAN(エックス・ジャパン)だ。Yoshiki(ヨシキ)とToshi(トシ)が1982年に千葉で結成し、インディーズシーンで頭角を現したのち、1989年にメジャーデビューを果たした。

そのサウンドはLOUDNESSとは根本的に異なっていた。LOUDNESSが外を向いたとすれば、X JAPANは内を掘り下げた。派手なメイク、黒い衣装——バンドはビジュアル系(Visual Kei)と呼ばれるシーンの先駆けとなり、そのスタイルは日本のロックシーン全体に波及した。今日、ビジュアル系は日本が世界に輸出したロック文化のひとつになっている。

美と暴力の間で

X JAPANの音楽は、一言で表すのが難しい。スピードメタルの激しさと壮大な叙情メロディが同居し、「X」や「紅(Kurenai)」では凄まじい疾走感が炸裂する。その裏側に「Endless Rain」のような美しいバラードも持っていた。この対比こそが、X JAPANの核心だった。

Yoshikiはドラマーであるだけでなく、ピアニストでもあり、バンドの楽曲のほとんどを手がける作曲家でもあった。その二面性がサウンドに独特の幅をもたらした——暴力的なビートで始まった曲が弦楽アレンジで終わることもある。そのギャップが、聴く者の感情を揺さぶった。

1989年4月の2ndアルバム『BLUE BLOOD』はオリコン6位で712,000枚を売り上げ、1991年の3rdアルバム『Jealousy』はオリコン1位・100万枚超を達成した。特に東京ドームの公演はチケットが入手困難なほどの人気を誇り、国内での熱狂は他のメタルバンドとは別次元だった。X JAPANは「国際的な正解」を目指さず、徹底的に日本的な美学でメタルを再構築した。その結果、国内で圧倒的な支持を得た。

Jealousy — X JAPAN(1991)

🎵 オリコン1位・100万枚超を記録した3作目で、疾走曲と弦の乗った長尺曲が同じ一枚に並んで置かれている。美と暴力を行き来する振れ幅は、通しで聴いたときに最もはっきり出る。
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日本のヘヴィメタル——温かいオレンジの光を背にした男性のシルエット
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1997年12月31日、そしてその後

X JAPANは1997年12月31日、東京ドームでの最後のライブをもって解散した。その瞬間は、日本のロック史における最大の衝撃のひとつだ。翌1998年5月2日、HIDE(ヒデ)こと松本秀人が33歳で逝った。HIDEはギタリストとして、バンドの音楽的個性の要であり、その死は日本のロックシーン全体を揺るがした。

しかし、X JAPANはそこで終わらなかった。2007年にバンドは再結成を果たし、その後も世界への発信を続けている。2016年にはドキュメンタリー映画『We Are X』が海外で公開され、バンドの歩みが英語圏の観客にも届いた。キッス(KISS)のジーン・シモンズ(Gene Simmons)は、ステージ上のYoshikiをこう見た。

“When you see Yoshiki onstage, purging himself, crying and rolling around on the floor, that ain’t showbiz. That’s real.”

ステージ上のYoshikiが、自分をさらけ出して、泣いて、床を転げ回るのを見てみろ。あれはショービジネスじゃない。本物だ。

— ジーン・シモンズ(キッス)/Classic Rock, 2016

X JAPANが残したものは音楽だけではない。「メタルは美しくあれる」という可能性を、日本の土壌から証明したことだ。

BABYMETALと「可能性の再定義」(2010〜)

LOUDNESSとX JAPANの道の先に、予想外の展開があった。2010年、東京でBABYMETAL(ベビーメタル)が誕生した。アイドルグループ「さくら学院」のサブユニットとしてスタートし、2013年に独立して独自のバンドとして歩み始めた。

日本のヘヴィメタル——ネオン輝く東京の路地
Photo by Jonathan Marchant on Unsplash

カワイイとメタルが衝突するとき

BABYMETALのコンセプトを聞いた瞬間、多くの人が首をかしげる——アイドルのダンスとヘヴィメタルのリフを組み合わせる。しかし、なぜか機能する。Su-metal(スー・メタル)のボーカルには強い芯があり、激しいバッキングトラックを正面から受け止める。「神バンド」と呼ばれる熟練したミュージシャンが演奏を支え、ライブでの彼らの演奏は正真正銘のヘヴィメタルだった。

ジャンルの境界が崩れる瞬間を、BABYMETALは意図的に作り出した。「カワイイ×ヘヴィ」の組み合わせは日本の美意識でもある——X JAPANが美と暴力を同居させたように、BABYMETALは可愛さと激しさを同居させた。どちらも、日本の外からは生まれにくいアイデアだった。

メンバーの変遷もBABYMETALの歴史の一部だ。結成当初はSu-metal、Moametal(モア・メタル)、Yuimetal(ユイ・メタル)の三人だったが、2018年にYuimetalが健康上の理由で脱退。その後2023年にMomometal(モモ・メタル)が正式メンバーとして加入し、バンドは形を変えながら前へ進み続けた。

世界のフェスに立った日本人

BABYMETALは国際的なメタルフェスに次々と出演した。最初は「何だこれは」と戸惑うファンも多かったというが、パフォーマンスが始まると空気が変わった。ヘヴィメタル大国のオーディエンスは、その本気度を感じ取った。

評価は本場からも届いた。ジューダス・プリースト(Judas Priest)のロブ・ハルフォード(Rob Halford)は、BABYMETALをこう語っている。

“I think BABYMETAL are one of the most unique metal experiences in the world right now. Not only their appearances, and their style and everything that surrounds them visually but they’re an incredible band as well. I met the band a couple of years ago in America and they’re so passionate about metal, they know everything about metal music and they’ve created a very special feeling and experience within the entire world of metal.”

BABYMETALは今、世界で最もユニークなメタル体験のひとつだと思う。見た目やスタイル、彼女たちを取り巻くビジュアル面だけの話じゃない。バンドとしても信じがたいほど素晴らしいんだ。数年前にアメリカで会ったが、彼女たちはメタルに情熱を注いでいて、メタルという音楽のすべてを知っている。そしてメタルの世界全体のなかに、とても特別な感覚と体験を生み出した。

— ロブ・ハルフォード(ジューダス・プリースト)/Bandwagon, 2018

2016年の2ndアルバム『Metal Resistance』、2019年の『Metal Galaxy』では融合の幅を広げ、2023年の『The Other One』ではこれまでと異なる音楽的アプローチを打ち出した。2025年8月、5作目『Metal Forth』が届いた。この一枚はBillboard 200で9位に入り、日本のアーティストとして初めて同チャートのトップ10に届いている。ラウドネスの74位から40年、日本のバンドが立つ位置は一桁まで上がった。女性がメタルシーンの最前線に立つという意味でも、その存在感は大きい。LOUDNESSが「技術は言語を超える」と示したなら、BABYMETALは「発想は国境を超える」と示した。

Metal Resistance — BABYMETAL(2016)

🎵 カワイイとヘヴィが正面衝突する2016年作で、Su-metalの芯の強いボーカルが激しいバッキングを正面から受け止める。神バンドが支える正真正銘のメタルを通しで浴びてほしい。
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三つのバンドは、音楽も時代もアプローチも異なる。それでも共通していることがある——「自分たちの音楽」を信じて鳴らし続けた。どのバンドも「日本らしさ」を消しにいかず、むしろそれを武器にした。

日本のヘヴィメタルが世界に通用するかどうかは、もはや問いではない。それはすでに、三度証明されている。
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